第5回 甲南魂 芹生長門(三十二代目甲南大學應援團リーダー部長)【後編】
應援團において1回生と4回生の関係は実に遠いものでありまして、團員数が十分に揃っている時代では、まず濃密な関係は望めません。高校を出たばかりの1回生にとって、應援團幹部という存在は、見た目はどう見ても3歳しか変わらないとは思えぬ風格がありますし、練習では何と重い事かと感嘆するしかない大團旗を軽々と持つ親衛隊隊長、リーダー部長が演ずる華麗な演武・乱舞を拝見すると、畏怖するしかないのであります。
そんな憧れであり遠い存在である幹部から直々に演武・乱舞を学んだ事が芹生リーダー部長の應援團人生の骨子になっていた様に思います。それ故、リーダーの型へのこだわりは人一倍でありましたし、またそれらをベストの状態で継承すべく行っていた肉体練磨は凄絶を極めておりました。
一言で言えば芹生リーダー部長は應援團が好きでならず、またそこで生きる先輩、同期、後輩、團員全員が好きでならなかったのだと思われます。一本気で愛嬌があるその人柄は誰からも愛され、昭和60年前後の我が團を支えていた極めて重要な存在であります。
上級生になりますとパンチパーマをかけ、筋骨隆々の体を学ランに包み眼光鋭くキャンパスを歩く姿は、当時の應援團の中ではコワモテの部類に入っておりましたが、不思議な人間的魅力に溢れておりました。事実、後輩にあたる33~35代目の團員の多くは芹生リーダー部長の勧誘で應援團に入っているのであります。
【1回生と酌み交わす芹生リーダー部長】
芹生リーダー部長は引退後も自らが指導した35代目が引退するまで、頻繁に大学に趣きコーチ役を買って出ておりました。当時から芹生リーダー部長のリーダー技術が卓絶している事は周知の事実であり、團員達は自らのリーダーはどの程度のものか見て欲しかったのであります。
リーダー技術もさる事ながらこういった應援團への愛情と後輩の面倒見の良さ、そしてその人柄が相俟って最後のリーダー部長 芹生長門の名を不朽のものとしているのだと思います。
そしてその足跡が偉大過ぎたせいか、リーダー部長の名跡を継げる者が現れないまま、我が應援團は48代目以降、團員がいない状況が続いております。
名実共に芹生長門リーダー部長を跡を継げる者が現れた時、我が應援團は完全に復活を遂げたと言えるのではないでしょうか。
末筆ながら芹生長門リーダー部長のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
【芹生長門リーダー部長】
八代目甲南大學應援團OB会團史編纂委員会