甲南大學應援團が生まれた時代【7】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

敗戦の傷跡がまだまだ残る昭和26年、いよいよ我が甲南大学は建学されました。学部は文理学部のみでありまして、1期生は120名でございます。

 

キャンパスは現在の岡本キャンパスでありますが、ここは旧制甲南高校があった場所でありまして、先んじて開校しておりました新制甲南中学、甲南高校もこの岡本キャンパスを本拠地としておりましたので、岡本キャンパスには中高大生が同じ校庭を行き来しておりました。

尚、この後、中高用に新校舎を建設(現在の西校舎)しましたが、尚、狭隘でありまして、遂に昭和38年、現在の芦屋に中高は移転致しております。

 

甲南は旧制時代も、新制中高も男子校でありましたので、甲南大学に入学した女子学生の為の設備(トイレ・更衣室等)が乏しく、苦労したという逸話が残っております。

【建学当時の正門】

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建学当初、現在の関西の私立大学の雄 関関同立は既にその地位を固めつつあり、その他にも多くの大学が関西で開学致しておりまして、学生集めには苦労したと伝えられております。戦前は旧制高校として名を馳せた甲南も大学としてはまだまだ未知数であった訳であります。

その為か近畿一円は言うに及ばず、中国、四国、九州地方からも広く学生を募っておりました。1期生である我が應援團 山下正和 初代團長も長崎のご出身であられます。

 

大学としては120名と言えば、実に小さな大学でありましたが、1期生120名全員が一騎当千であれば12万人分の、全員が万夫不当であれば120万人分の働きが出来る、との意気込みで私共の先輩方は奮闘されておられたのであります。

 

八代目甲南大學應援團OB会

團史編纂委員会