甲南大學應援團が生まれた時代【6】 | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

本日8月15日は言うまでもなく終戦記念日であります。戦没者の方々のご冥福を謹んで祈念申し上げます。今年で68回目の記念日という事で、当時を知る方も随分と少なくなったと聞き及んでおります。

 

意外と知られておりませんが、戦後、戦争の余波で多くの方が亡くなっております。シベリア抑留 などは最たる例でありましょう。

昭和20年8月15日正午以降、一部地域では戦闘が行われておりましたが、基本的に日本本土では戦闘や爆撃等の被害に遭われた方はいない訳であります。

ところが実際には物資不足の中、最悪の場合は餓死される方もいらっしゃっいましたし、餓死まではいかずとも栄養不足の為、結果的に早逝されてしまう方も随分といらっしゃった様であります。

 

また激動の時代の中、生き急ぐ様に命を落とされた方、また忘れてならないのは進駐軍 によって多くの市民が殺害されている事でしょう。

調査庁 の調べでは、7年の占領期間中に米兵に殺された者が2,536人、傷害を負った者が3,012人とあります。米兵が日本人女性を襲った事件に至っては20,000件もあったとされております。

 

こういった全ての方々に対し改めてご冥福をお祈り申し上げる次第でございます。

【昭和27年の元町】

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甲南大学が建学された昭和26年当時、神戸も随分と復興が進んでおりまして、元町などは写真の様な状況にまで復興を遂げております。未だ進駐軍が居た様でありまして、写真にも軍人の姿が映っております。

 

このような状況の中、現在とは違う燃え上がる様な情熱を持って私共の先輩方は甲南の歴史を刻んでいかれたのであります。

 

八代目甲南大學應援團OB会

團史編纂委員会