我が良き友よ | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

我が良き友よ」とはムッシュことかまやつひろし氏の代表曲であります。作者はかの吉田拓郎氏でありまして、昭和50年にヒットしたこの曲は現段階でかまやつ氏最大のヒット曲となっております。

無論、この歌のヒット以降の話ではありますが、應援團員は何故かこの歌をこよなく愛しております。これは我が校に限った事ではなく、他校の團員と場末のスナックに入った時など、相手方がおもむろにこの歌を歌い出したりするのでございます。

確かにカラオケの背景の映像を見ますと、明らかに應援團員をイメージしたと思われるストーリーが展開されていたり致しますので、一般的にこの歌を聞いて應援團が連想されるのだと考えられます。
歌詞を追いますと、下駄、学生服、男の匂い、酒、女郎屋、バンカラ等と言った単語が散りばめられており、これで應援團を連想するな、と言う方が酷でありましょう。


吉田拓郎氏によればこの歌は氏の大学時代(広島商科大学)の同級生をモデルに作った歌だそうでありますが、疑問に感じる点がない訳ではありません。

歌詞の中で「バンカラなどと口走る 古き言葉と悔やみつつ」という件がございますが、この歌がヒットした昭和50年当時、我が團で申せば21代目の治世でありますが、我が校のキャンパスの模様からするとしっくり来ません。当時は三武会のみならず体育会の学生の多くは学生服を着用しており、稀ではありますが、一般学生の中にも学生服を着用している学生がおりました。

また以前にもご紹介した映画「嗚呼!花の応援団」の封切はこの歌がヒットした翌年でありまして、当時、決してバンカラ文化が目に見えて衰退していたとは思えないのであります。当時、首都・東京にいらっしゃった吉田拓郎氏の目にはどういう光景が見えていたのでありましょうか。

歌は多くの場合、自身の経験と照らし合わせ感ずる部分があったりして気に入るものでありますが、この歌を歌う團員は、将来、必ず迎えるであろう自分の姿を歌の中に見つけ、限りある現役團員である時間を、懸命に生きようと決意を新たにするものでございました。

「我が良き友よ」歌詞

八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会