以前、「破れ太鼓 」という記事を書かせて頂きました。要約しますと、昔、太鼓の皮を本当に破ってしまった桁外れの鼓手が我が團におりまして、それ以降、我が團では鼓手が目指すべき高峯に掲げられた目標到達点を「破れ太鼓」と呼び、鼓手出身の幹部は「破れ太鼓」と背中に大書した羽織を着用する様になったのであります。
今回はその「破れ太鼓」ならぬ「隠れ太鼓」のお話であります。無論、前者の韻を踏んでの命名である事は言うまでもありませんが、我が團で30代目以降、散見される様になったシステムの事を指します。
以前にも触れましたが、30代目の團員が中途で全員が退團してしまう異常事態が発生し、結果的に30代目は31代目團員が3回生ながら幹部に就任し、臨時内閣を編成した次第であります。そこで顕在化したのが團員不足の問題でございます。1学年、しかも最高学年が不在ともなれば、問題が山積致します。
中でも乱舞の集いの舞台では、リーダー、旗手、鼓手、司会を担う團員が2、3回生しかおりません。いずれも1回生には任せられない役割ばかりでありまして、旗手は一旦、團旗を掲揚したならば、舞台が終わるまで降ろす事は出来ません。リーダーも2、3回生團員の親衛隊、リーダー部の所属を考えれば、ある程度、担当が決まってしまいます。
そうなりますと、ある程度、配置転換が可能なのは鼓手になってしまう訳であります。通常、舞台の場合、鼓手は固定でありまして、稀に和太鼓を叩く場合のみ幹部鼓手が登場したりする程度でございます。しかし團員が不足しますと、一人でも多くバックと呼ばれるリーダーの後ろで声を張り上げ舞う團員を確保せねばならぬ必要に迫られ、演目によって鼓手も目まぐるしく変わる事態に陥る訳であります。
そうなりますと團長自ら太鼓を叩かざるを得ない事もあり、さすがにお客様にお見せする構図としては良くありませんので、太鼓そのものを隠してしまうという知恵が生まれたのであります。
舞台の袖の幕の後に太鼓を設置しまして、演目により鼓手を替え乱舞の集いは進行する訳であります。團長は團員が揃っておりましたら、最初の挨拶と最後の学園歌のリーダー位しか出番がありません。可能な限り團長が太鼓を叩けば、その分、舞台の上にいる團員の数は増える計算になりますので、團長は團長である事も忘れ一心不乱に太鼓を叩く羽目になるのであります。
その影響かどうかは定かではありませんが、32、34、36、38代目と1年飛ばしで鼓手出身者が團長になっております。
たとえ團員が少なかろうと何かしらやれる方法はある事を証明して下さった事例であると言えましょう。
八代目甲南大學應援團OB会広報委員会