昨日の記事 に久々に複数コメントを頂戴した事、また書き手自身、昨日の記事を書き終わり読み返して何か書き足らなさを感じておりました事、以上2点が主たる理由で今日は続編を書かせて頂こうと思います。
私共が他校の宣伝紛いの事を書くのはどうかと思う部分がない訳ではありませんが、それ以上に関西にはこういう應援團がある(あった)事を語り継がねばならないと思う次第であります。
関西圏、中でも阪神地区以外の方には英知大学は正直、馴染みが薄いかもしれません。同校は大阪大司教区が創設したカトリック系ミッションスクールでありまして、記憶によれば学生数1000名程度の決して大きい大学ではございませんでした。
昨日も触れた様に現在では聖トマス大学と改称しておりますが、基本情報はWikipedia をご参照下さい。こちらによれば平成22年に学生募集を停止したものの、その後、動きが二転三転している様で、今後どうなるかはっきりしません。
さて、昨日、コメントに英知大学應援團 大島團長のエピソードをご投稿頂きましたが、昨日、ご紹介した森山團長時代には既に大島團長はOB会会長に就任しておられました。大島團長時代の團誌が我が團の團室に残っておりました。
手書きであります。発行は昭和50年となっておりますが、当時は現在と同じ様に印刷された團誌ばかりでありまして、我が團でも同様であり、手書きというのは珍しかったと思われます。
團訓や各歌の歌詞、当日のプログラム、挨拶文が書き連ねてありまして、相当、手間がかかったと思われます。しかしそれ故に行間から母校、そして應援團に対する烈々たる愛情が滲み出ている様に感じてなりません。
7項目ある團訓の一つに「威あって猛からず」とありますが、私共がお見かけした英知大学應援團員はその通りの立ち居振舞いでございました。1000人の学生数では一般的なクラブ、例えば野球部やサッカー部等でも部員集めは大変だと思われます。ましてや應援團は相当の労苦を重ねて来られたであろう事は容易に想像がつきます。その中、静かな闘志を燃やして活動を継続された来られた事は瞠目に値すると思います。
肩肘張らず静かに母校を、そして應援團を愛し、学友と共に歩んでおられた英知大学應援團の姿は今、私共が理想とする姿なのかもしれません。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会