孤高の人~英知大学應援團~ | 甲南大學應援團OB会のブログ「雲外蒼天」

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甲南大学応援団再建物語
~黄霧四塞すと雖も、上に蒼天なきに非ず~

昭和から平成にかけての数年間、関西の各大学應援團の乱舞祭会場に「森山さん」と呼ばれる大貫禄がいらっしゃいました。

 

当時は盛期程ではないとは言え、まだまだ多くの大学に應援團があり、元気があった時代でございましたので、各乱舞祭会場では、ただならぬ緊張感が走っておりました。

武闘派を自認する團は幹部が数多の若い衆を従えて練り歩いておりましたし、応援会場で遺恨があった團同士はお互いに目で威嚇し合っておりましたし、何はともあれ物騒な場所でありました。

その中でどの團の幹部も一様に慇懃に挨拶をする大貫禄がこの森山さんだったのであります。確かに遠目に見てもオーラの様なものを感じる貫禄が滲み出ておりまして、歩く様も挨拶を受ける様も見事なまでに絵になっているのでございます。

 

私共の應援團は昭和60年前後より平成初頭まで大学当局のご指導の下、他校の乱舞祭の見学には行かず、こちら側の乱舞祭にもご招待もしない、という鎖国状態だったという事情もあり、この森山さんをお見かけしたのは1度きりでございますが、この方こそ英知大学應援團の森山團長だったのであります。

 

実は英知大学では当時から團員不足に悩んでおられ、森山團長は自らが留年する事によって團の命脈を保っておられたのです。故に私共がお見かけした時は既に8回生、團長5年目の年にあたり、他校を寄せ付けない貫禄の正体はここにあった訳であります。

しかし應援團の為に8年まで大学に在籍するという事態は他校でも何例か聞きましたが、その執念と愛情には完全に脱帽であります。

しかしながらお会いした森山團長には悲壮感も気負いもなく、全身から應援團への愛情を漂わせておりまして、それが圧倒的な貫禄となっており、お会いさせて頂いた私共の團員は非常に感銘を受けておりました。

 

その折、森山團長は2名の下級生を連れて居られましたが、その後の英知大学應援團はどうなったのかと気になっております。英知大学は平成19年に聖トマス大学と改称されておられますが、平成20年現在の写真 でしか確認できておりません。あの森山イズムが現代に受け継がれておられる事を祈念する今日この頃であります。

【昭60年当時の英知大学應援團】
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