迫り来る勧誘について頭が痛い日が続いております。
勧誘という活動は組織運営が堅調な時期は斯くもクローズアップされません。失敗できない、後がない、という切羽詰まった状況になって初めてクローズアップされるのであります。
不思議と48代の歴史の中、勧誘は結果的にうまくいく事の方が圧倒的に多かった訳でございますので、立看板を立てたり、ビラを配ったりという事が余りなかった訳であります。
それでも團員数が急激に減少した45代目以降は毎年、勧誘は至上命題でありまして、あの手この手、色々と考えたものであります。とは言え他校ではごく当然の様に行われている事ですら、我が校では実施した事がない、という事も珍しくありませんでしたので、この45-48代目の期間に試みた事がございます。
【入学試験時の團旗掲揚】
入学試験や合格発表の折、受験生を激励したり胴上げしたりする映像が毎年、流れておりますが、我が校では余りやっておりませんでした。
実際のところ滑り止めとして受験する学生が多うございますので、合格発表の日もごった返す様な事もございませんでした。しかしながら切羽詰まって参りますと、甲南に入学して来るかもしれない受験生が来校する訳でありますので、應援團の存在をアピールすべく正門前で團旗掲揚を行った事がございます。
結果的に効果はございませんでしたが、こういう活動は継続する中で5年10年という時間軸の中で是非を判断するべきものだと思います。
写真は48代目当時のものでございます。平成15年2月の入学試験時になります。写真右手の提灯を持っている團員が"最後の團長"吉田48代目團長でございます。
現時点で我が應援團最後の團長となる彼は、最後の團長というインパクがある代目にも関わらず、もうひとつ影が薄いので敢えて掲載しました。お見知りおき下さいませ。
おや?48代目という代は吉田團長一人だったのでは?と不審に思う事情通の方もいらっしゃる事でしょう。写真は入学試験時ですからラストサムライ吉田氏が卒業する1ヶ月前、彼以外に2人團員がいれば継続出来たのでは?
そうなのです、ラストサムライ吉田氏はリーダー部出身で小柄な上に痩身、到底、團旗を掲揚し得る体格ではなかったのでありまして、團長自ら團旗警護役にならざるを得なかったのであります。そして旗手はOBの某氏、もう一人の團旗警護役は少林寺拳法部員でございます。
かくしてOB現役少林寺連合軍で入学試験期間中、毎朝、團旗を掲揚しました。受験生を大学まで送ってきた父兄の方が記念撮影をされたりしておられましたが、やはりこの活動は再建後は継続してゆけば良いと思われます。
八代目甲南大學應援團OB会
広報委員会