芹生長門 甲兄 13回忌墓参 | 大学應援團に関する考察を支援するブログ

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かつて地方都市に実在した應援團の赤裸々な日常を通じ、大学應援團とは何を考えるブログです。

本年11月4日で故 芹生長門甲兄の13回忌を迎える事になります。芹生甲兄が幽明境を異にしてもうそんなに時が経過したのかと思うと感慨も一入であります。

芹生甲兄の同期である32代目は既に50歳を越え、また甲兄に直接、指導頂いた下級生も50歳に手が届く年齢になってしまいました。
芹生甲兄は32代目でありますので、現役時代が重なる後輩は33代目~35代目が該当しますが、当時、團勢が振るわなかった事もあり、再建活動が軌道に乗った平成2年あたりまでは、月に1-2度は芹生甲兄の指導を仰ぐ機会がありましたので、直接の後輩と呼んで差支えがないのは33-37代目であると言えます。
我が團リーダー部においてリーダー部長を務めた芹生甲兄が確立した体系を敢えて芹生流と呼ぶとすれば、その使い手は33代目 松田、35代目 中村、36代目 井上、37代目 森下の4名しかおりません。極めてリーダーのレベルが高い期間でありました。

芹生甲兄は練習を始め應援團に関わる事には極めて厳しい反面、豊かな人間性で後輩にとっては好きな先輩の一典型でありました。事実、この期間、我が團の門を叩いた新入生の多くは芹生甲兄の勧誘で入團を決意しております。

早逝する会員が多い我がOB会でも最後までしぶとく生き残っている中の一人であろうと言われるほどのエネルギーを秘めていた芹生甲兄が41歳の若さで逝ったと聞いて耳を疑わなかった者は一人もおりません。存命であれば、我が会ももっと活況を呈していたであろう事は疑う余地がございません。

13回忌を迎える本年、月命日でもございませんが、夏季休暇等で帰省しているメンバーを含め、芹生甲兄に縁がある我が会のメンバーにて墓参を行いました。
故人が愛してやまなかった郷里の西脇の空は故人の気性の如くカラッと晴れ渡っておりました。
芹生甲兄に取り次いだ頂いた甲南大學應援團の縁を今一度、再認識させられた一日でありました。
應援團を引退し、今はそれぞれがそれぞれの暮らしの中で日々を過ごしておりますが、この縁だけは決して忘れてはならない、それが残された私共の責務であると思います。

偉大な先輩のご冥福をお祈り申し上げます。



甲南大學應援團OB会
八代目甲雄会二代目芹生会