関西大学野球の歴史【6】 | 大学應援團に関する考察を支援するブログ

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かつて地方都市に実在した應援團の赤裸々な日常を通じ、大学應援團とは何を考えるブログです。

我が甲南大学の阪神リーグでの戦績は昭和30年に行われた記念すべき第1回リーグ戦での優勝を皮切りに昭和33年春、34年秋、35年春、38年春、38年秋、39年春、平成5年秋、6年春、7年秋の計10回のリーグ制覇を達成致しております。


 


ただリーグ戦の仕組みが年代で異なる為、神宮球場で行われる全日本大学野球選手権大会に出場できたのは平成6年の第43回大会の1度きりでございます。我が團も上京し神宮球場での初応援を行いましたが、この時は熊本工大相手に5-6と惜敗し、1回戦敗退となっております。


 


阪神リーグは黎明期より大阪商業大が頭一つ飛び出ている様な形で推移し、昭和37年に関西大学野球連合が発足しますと、大阪商業大学は入替戦に進み勝利し、関西六大学リーグへ進出を果たしました。連合が解散すると大商大はそのまま関西六大学リーグに留まり、新阪神リーグは再出発しました。




制度の変更もあり、昭和61年に、大阪体育大学が阪神リーグより初めて全日本大学野球選手権に出場を果たします。全国に多くの大学野球連盟がございますが、阪神リーグはその中で強豪に数えられる事はまずありません。関東の東京六大学、東都リーグ、関西の関西学生野球連盟といったところと比べれば、実力的には落ちる感が否めず、神宮に出ても初戦敗退を繰り返し、神宮での初白星は平成5年に大阪経済法科大学が朝日大に勝利するまで待たねばなりませんでした。


 


連合解散後の阪神リーグでは大阪体育大学が強豪チームとして、君臨しておりました。上原浩治投手(現ボストンレッドソックス)を擁した黄金期には無敵を誇っておりましたが、それでも尚、神宮の壁は高く、全日本大学野球選手権での優勝を果たせませんでした。


 


 


しかし平成18年の第59回全日本大学野球選手権で大阪体育大学は悲願の初優勝を遂げ、大いに阪神リーグの名を高めました。


しかし阪神リーグ所属の大学が神宮で優勝したのは後にも先にもこの1回きりのままであります。


 


八代目甲南大學應援團OB会


広報委員会