身に美しいと書いて躾と読む
一般に、生活を進めて行く上で必要と思われる、作法や所作等を身に着けさせる事
実は躾とは、古来から伝播・伝承されて来た日本独自の考え方であり、その字もまた「国字」に分類される(厳密に言うと漢字では無い❓)モノなのだそうだ
以降は全くの筆者の主観であり、「全ての」や「押並べて」等と言った括りでは無く、あくまで「一般的に」や「大抵の場合」程度の話と、話半分程度に納めて頂く事を推奨する
躾と聞いて思い浮かぶのは、年長者が目下の者、或いは先達から後進の者達への、行動規範を指し示す行為・行動の事ではないだろうか
もっと簡単に言えば、身近な大人達が子供等に行う初期教育の根幹となる部分だ
身に美しいと書いて躾と読む様に、傍から見て不快に思われない程度の所作を行える様、様々な過程で伝え導く事を目指す
ただこれがまた難しい・・・
何せ相手は、ただでさえ人生経験が乏しく、他者との接点が多くない子供達なのだから
何度言っても伝わらず、ついつい言い方が厳しくなりがちだ
結果我々は、「躾を穿き違えた」・「行き過ぎた躾」と言った類の、暴力行為のニュースを眼にする事となる
改めて記載しておくと
身に美しいと書いて躾と読む
貴方が躾けたいその対象者が、果たして思い通りの行為・行動を取てくれないその理由は、大抵の場合貴方自身に問題がある事が多い
ここで少し思い返して欲しい、「何故貴方は躾が必要だと考えたのか❓」
貴方は、「他者に魅せるための躾」を欲してはいないか❓
もしそうならば、彼等(※ここでは子供等を指す)ちゃんと見ている事を理解すべきだ
「他者に魅せるための躾」してしまってる者に見られる傾向としては、TPOに合わせた行動パターンの使い分けが挙げられる
例えば、家庭内ではロクに挨拶を交わさず、脱いだ靴も揃えない、人から施された些細な行為に対して感謝の意を示さない
それなのに、宅外においてのみソレを強要しても、彼等は全く理解不能であろう
要するに自身に裏表があるに、彼等がソレを行うはずがないのだ
大切な事なのでもう1度だけ言っておこう
身に美しいと書いて躾と読む
即ち躾とは、平生の生活の中から身に着くモノで、あくまで彼等自身がソレを当たり前だと感じる事で湧き出る、あくまで自発的な行為・行動のソレなのだ
更に付け加えておくと、躾けという行為は決してその全てを親達に背負わせるモノではなく、身近な大人達を含む社会全体で担うべき責任である
つまり貴方はただ、常に自身が見本となって行動し、彼等が周りの人々に愛される様に背中を見せてあげさえすれば良い
一般に「子は親を映す鑑」と言うが、広義の意味では「子供達は大人を映す鏡」と言う訳だ
最後にもう1度だけ書いておこう
身に美しいと書いて躾と・・・
ヒデブッΣ(゚ω゚;((┗┐(`ω´ ;))ドゴーーン
躾・躾って何度もシツケーんだよ🔥
_(゚ཀ゚;<)_サーセンシッタ