私は40歳で結婚。
41歳で1回目の流産後に不妊治療を始め、
2回目の流産を経て、43歳で初産。
そして、二人目妊活の後、
44歳で奇跡的に着床。
話は前後していますが・・・
45歳で出産に臨む時のお話しを
振り返り、再び綴っています。
この時、ただでさえ、ハイリスクな高齢妊婦なのに…
第2子妊娠6週、長男1歳で
職場復帰をしました。
その時に感じた言うに言えない恐怖
待機児童で育休を延ばし、
復職と同時に妊娠6週
いきなり流産で休んでも、
妊娠していると報告しても、
しかも45歳になろうとしているのに、
「えーーーーーーーー」
だよねー。と。
詳しくは
そんなビジネスパーソンとしての
やるせない気持ちと
なんとしても、
お腹に宿ってくれた奇跡の命を
守り抜かなければならぬ
という母の使命
この悶々とした気持ちを旦那に話すと、
「自分で望んだんだから、
しょうがないじゃん」と。
はい、その通ーーーり、
ですよねー
んでも2人の子供だぞ
なんかおかしい・・・
到底理解してもらえなかった…。
それからというもの、
理解してもらおうとも
思わなくなってしまったのです。
この不毛なやりとりで
エネルギーを消耗するわけにはいかないと
日々心身のエネルギーを
すさまじく消耗し放題だったので、
生き抜くための本能なのでしょうか
省エネモードに入ってしまったのです
今思えば、この後の展開も含め、
妊娠・出産や子育てにまつわることって、
ただの夫婦のいざこざとは違うし、
一人で背負うには重過ぎる
だから、1つ1つ夫婦で解決していこーよ!!
と、その時の自分に言いたいです。
その証拠に、産後クライシスになるし、
未だ解決できてないこと山のごとし
職場では、その後も
全面黙秘を続けたまま、
新しいプロジェクトを立ち上げることになり、
10名程の女子を率いる新チームを発足
若い女子たちと一緒に
一瞬でも仕事に没頭出来ているときは
やはりやりがいも感じてました
一般的には、職場の妊娠報告は、
初期では直属の上司などにとどめ、
流産率が少なくなる、妊娠12週頃に
関係者に告げるとよいといわれていますが、
12週を過ぎても、
やはり何が起こるか分からない恐怖があり、
まだまだ、なかなか言い出せず…
ここでも優柔不断が出てしまってました
移動も多かったので、
つわりに見舞われている時には
仕事中も電車の中で
シンドイことが多々ありました
第1子の時より(といっても43歳)、
さらに年齢がプラスされていることと
1歳児の子育てがプラスされていること、
さらに産後のマタニティーブルーにはじまり、
産後ケアできていなかったので、
つわりと共に足腰はガタガタ…
でも、いつまでたっても、職場に公表していなから
マタニティマークをつけられず、
育児疲れの具合の悪い人
として振舞っていました
今思えば、何がなんでも身体第一
街中でマタニティマークを付けている人を見かけると、
結婚前は、大変そうだな
結婚直後は、自分も妊娠できるといいな
妊活中は、いいなー
そしてこの時、
公表できて良かったですねと
今迄とは違った感情を抱きました
そんな状況もあり、
妊娠は継続できていたものの、
次によぎったのは、
やはり高齢妊娠で気になる、
出生前診断を受けるかいなか…でした。
この続きはまた!