哲学者 鷲田清一氏の著書は、大学入試の現代文で頻繁に出題され、超難解。

けれど、この本は私でも読みやすい。

「京都の平熱 哲学者の都市案内



読んでいたら京都に行きたくなっちゃい•••




はい、来ちゃいました!

さすが妄想、早い!

まずは祇園へ。本に書いてあった巽橋は必見だったし、感じのいい飲み屋さんもある。今日は日本酒かな。お店に入り席に着いて周りを見ると、外人さんがいっぱい。

あっ、お隣の席は日本人。えっ⁈ え〜⁈


お隣で飲んでいるのは、鷲田清一氏!


以前、鷲田氏の講演会でお顔は知っている。本の難解な文章に、お堅いお方と想像していたら、柔らかなお話•••


このチャンスは逃せない。サシ飲みしたい。けれど、お声はかけ辛い。


でも、エレカシ沼落ち一年生としてお聞きしてみたいことが•••

そうだ、お声をかける前に質問をメモしよう。


え〜と。

先生のご本「京都の平熱」に『ファッションは、じぶんをデコレートするよりもまず、他人の眼をデコレートすることを先に考える感受性のことである』とありますが、


これは、

「人はその日着る洋服を、その日会う他人に合わせて選んでいる」

という解釈で合ってますか?


そして、

エレファントカシマシの宮本浩次さんは、ずっと「白or黒シャツ+黒細パンツ+黒ジャケット(有or無)=基本」の衣裳で通してるんですが、


これは、

ファンに見せたい自分のファッションであり、いつどこで誰の前で歌おうが変える必要もデコレートする必要もない。


なので、

曲作り、歌うことに集中して、最高の歌を届けられる。


だから、

変わらないファッションやエレカシのスタイルに、ファンはいつの時代の映像を観ても、デビュー当時からの揺るぎないエレカシの世界に浸り、最高の歌を受け取ることができる。


ということで合ってますか?





お聞きすることメモしたし、

さあ、サシ飲み!

鷲田氏にお声をかけてみよう。


でもムリ、、、今日は普段着。

デコレートしないとお声をかけられない。


きものを着てたらなんとかいけたかな?

それでもムリかなぁ。。。