朝、目が覚めた瞬間、昨日までの出来事が全部夢だったんじゃないか――
そんな気がして、しばらくぼんやりしていた。
でも、大きな窓から容赦なく差し込むサイゴンの強烈な日差し。
外ではカブのエンジン音が途切れなく響いている。
ベッドの上から見上げる高い天井。
足元には開けっぱなしのスーツケース。


デスクの上には、彼女がこっそり忍ばせていたディズニーランドでのツーショット写真が置かれている。
その隣には、成田で買った香水――ティファニー・トゥルーエスト。
さらに、昨日トゥイちゃんからもらったシクロの工芸品の置物も並んでいた。
昨日、街を流しているときに何度もすれ違って気になったシクロ。
そのことを興味本位でトゥイちゃんに尋ねたから、この置物を選んでくれたのだろう。


……夢じゃない。


――月曜の朝。
まだ頭がぼんやりしたまま、朝食をとりにダイニングへ向かう。


後藤:おはようございます。


工場長「おっ、ずいぶんスッキリしたじゃないか〜」
初めて僕の髪型を見た工場長が、ニヤニヤしながら近づいてくる。
頭の中は全然スッキリしてないのに、髪だけはしっかり刈り上げられている。
後藤:昨日、トゥイちゃんと美容院に行ってきました。
工場長「そうか。何か言われたか?」
後藤:はい、“デーップ・チャーイ”って何度も言われました。
工場長「私も言われるね。」
後藤:えっ


工場長「しかしデートで美容院!? よっぽど髪がうざかったんだなぁ。」
後藤:課長の悪ふざけですよ! デーップ・チャーイどころか、

 もう“めちゃ・クチャーイ”ですよ!
工場長「あっはっは! うまいこと言うなぁ、それ!」
後藤:……笑い事じゃないですよ。工場長もグルでしょ?
工場長「さぁ? どうだろうなぁ~」
後藤:話そらさないでくださいよ。
工場長「まぁまぁ。でも美容院で済んでよかったな。

 美容院じゃなく病院の世話になるようなことだけは気をつけないとね。」
後藤:はぁ……
工場長「実際、病院へ行って、部屋でひとり寝込んでるやつがいるから・・」
後藤:……え?
そういえば、いつも一番に来ている北沢さんがいない。
昨日、寮に戻ったときも工場長と一緒に姿が見えなかった。

後藤:・・・北沢さん?、、ここに、いないですよね。

 何かあったんですか?
工場長「“あった”んじゃなくて、“あたった”んだよ!」
後藤:……まさか、バイクに?
工場長「そうなると、ここに来られるはずがないよ。」

後藤:そうですね。

工場長「原因はどうやら“食べ物”らしい。どこかの飲み屋のお姉さんと一緒に、ローカルの店で生野菜をたくさん召し上がったそうだ。」
後藤:……は?
工場長「日本のような水道水で丁寧に洗ってあるわけじゃないんだ。きれいな女性を前にすると気が緩んで、出されたものを何でも口にしてしまうから“あたる”んだよ。ついでに天罰も下ったんじゃないか。」
(……そういえば僕も美容院で氷入りのお茶を飲んだぞ、、)


工場長「後藤君、お腹は大丈夫か?」
後藤:……はい、今のところは。
そんな会話をしていると、課長と部長がダイニングに入ってきた。
課長H「おはよう・・」
部長M「おはよう、彼女と食事を楽しんだそうじゃないか?」
課長H「美容院にも連れてってもらったんだってね。」
課長H「で、そのあとどこ行ったんだ?」
後藤:……あの、言いますけど、知ってたでしょ?、それに彼女とか、デートとかじゃないですからね。
僕は返事もそこそこに、朝食に出されたフランスパンをかじることに集中した。
部長M「若いっていいねぇ〜」
……部長がポツリと言った。