がちょ〜ん(自己嫌悪の擬音として) | Re:パスタの茹で時間

Re:パスタの茹で時間

一口にパスタと言っても太かったり細かったり、長かったり短かったり。
人生もまた同じ。
茹で上げ前の緊張感が大好き。

うーん、わかっちゃいるんだけどねぇ。そんなことが沢山あるのだ。わかっちゃいるけどやめられないのはスーダラ節、クレージーキャッツの植木等が歌ってたっけ。何事もスラスラスイスイスイとは行かないもの。わかっているのだからできそうなものだけど、わかっているからこそできない、意識が薄い。

常識ってやつは常識だからこそ普段は隠れている。なんたって常識だからだ。でも、他に意識が行っていたり考え事してたりしてると常識が外れる。その瞬間、人間として常識外れと呼ばれる。理不尽。とは言え人間だから常識人として生きていたい。それが常識だから。

 

なんだか文章がしつこい。

 

そう思って文章の書き方の本を見てみる。もちろん買う前のリサーチ、俗に言えば立ち読みだ。アマゾンにはたくさんあるのに書店に行くと、それほど置いていない。それでもどんなもんかいないとパラパラとめくると、なるほど参考になるようなことが書いてありそう。もちろんリサーチなので本当に読むことはせず、部分的に見るだけ。読んで参考になってしまったらタダで知識を身につけたことになり、その本を書いた人のみならず、関わった人に申し訳なさすぎだ。書店で真剣に読んじゃってる人って、出版までにどれだけの人の手がかかっているかなんて想像できないんだろうなぁ。

 

よし、文章については勉強する。そして芥川賞でも取ってしまうのだろうけど、その前に写真も撮りたい。そこで写真も勉強しようと本を探しているのだけれどこれがメチャムズイ。元写真学生の身でありますので、基本からみっちり仕込まれた。なんたってローマ建築の美意識から英会話まで授業にあったんだから笑っちゃう。もちろん写真については厳しい。プロからの指導を受けるので当たり前ではありますが、ダメな写真はゴミ箱に捨てる代わりに良い写真は褒める。今みたいにデジタルなんてない時代、現像するまでどんな風に撮れているかわからない。現像するまでに撮ったはずの写真の出来は頭の中でどんどんと膨らみ傑作写真になる。が、現像して焼いてみるとがっかり。それでもイメージ通りに撮るということを繰り返した。

なので、雑誌や書籍になっていることは一度勉強してしまった。素直に勉強しなおせばいいのに知っていることにお金を出すことに躊躇してしまう。

 

だから写真が上手とか、百発百中いい写真が撮れるとかはない。だからこそ勉強したいのだけど同好会に入るほど真剣じゃないし…。

 

結局は中途半端、うーん、わかっちゃいるんだけどねぇ(冒頭に戻る)