きっと新しい地球へ向かうあなたへ
1週間ほど前、裏山でギンナンを
た~くさん拾ってきて
少しずつ食べてます。
前回、文頭に記した金木犀と違って
こちらはなかなか、臭いですが
もぉりぃです。
前回は、
と題して、今さらながらの自己紹介を兼ねて、
私の18~27歳くらいまでの約10年の経験を、
ざっと書いてみました。
あいだともというペンネームで書いた、
「ともぞー旅日記」に記した、
アメリカ・ヨーロッパひとり旅をしたのは、
27歳の秋でした。
この旅は、ロバート・ダウニーJr. 的な
(『アイアンマン』(2008)より。Photo: Paramount/Everett Collection/amanaimages)
スペイン人と恋に落ちて永住することを目標に
2ヶ月のうち半分以上をスペインで過ごしたものの、
唯一言い寄ってくれたのは、一回り以上も年上の、
ちょっと小熊さんみたいな人で、
得てしてあちらの方は体臭が強めで、
失意のうちに帰国するわけです。
でも改めて、自分には和食や日本の風土や文化が
合っている(好きなんだなぁ)と感じた訳で、
今回はその帰国から、約3年ほどのことを
書きたいと思います。
思い返せば、
もぉりぃが「もぉりぃ」と呼ばれるようになったのは、
その間のことであります。
よろしければお付き合いください。
前回チラッと書きましたが、
兄から引き継ぐ形で住んでいた徳島市内のアパートは、
徳島を発つ前に引き払いました。
この時に車も、手放してました。
ゆえに、リセットアゲイン。
日本に、徳島に戻ってきても、ド田舎の実家では、
車がなければ出掛けることはもちろん、
仕事に行くことが出来ません。
もちろん、お金は使い果たしていたので、
新しく部屋を借りるのに必要な費用を得るために
住み込みの仕事を探しました。
そして見つけたのが、高知県室戸岬の料亭。
1998年、師走(12月)のことでした。
仕事内容は、着物でお料理のお運び…かと思いきや、
これがお酒の酌をしたり、お話の相手をしたりと、
要するに水商売でした。
そして、お客さんにお酌をするだけでなく、
酒飲み王国、土佐の高知では、
空けたグラスを差し出して注いで飲ます、
という「返杯」をほぼ永遠に繰り返す、
という習わしがあります。
仕事は夜遅くまでではありますが、
夕方からなので、拘束時間はそう長くないものの、
多少お酒(ビール)が好きな私も、
こんなに毎日飲んでいてはヤバい…(体を壊す)
と思うようになり、
次に借りるアパートの敷金礼金分のお金が貯まる
1ヶ月ほどで、辞めさせてもらうことに致しました。
そして、今度は車がなくても生活に困らなそうな
徳島駅近くにアパートを借り、
1月末の誕生日をスタートに、駅近の雑貨屋さんで
働かせてもらうようになったものの、
細々とした雑貨の値段は覚えるのは難しいわ、
毎日細かいところまで雑巾がけするのも手が荒れるわ、
店長(ご主人)はやさしいけど、社長(奥さん)は
なんだかいつもツンとしてて取っつきにくいわ、
やたらと凝った包装を教えてもらうようになるまでは
何年掛かるか…と毎日ブルーになってたら、
2週間後のバレンタインには、
「もう来なくていい」と言われてホッ。
次に何をしようかと求人情報を見て悩んでいた時、
候補のうちの一つ、花屋さんでの仕事を
友人が推してくれたので、そちらに応募して採用。
それが、3月のこと。
飲み屋街入口での「夜の花屋」の仕事でした。
店を開けるのは、午後3時。
同い年の店長が仕入れ等に行っている日は、
私が店舗を開けるのが日課。
スナックに週決めのお花を配達したり、
開店祝いの鉢植えや、女の子の誕生祝の花束も
お店にお届けしてました。
土日は、結婚式の二次会の花束を買いに来る
お客さんも多かったし、繁忙期は年3回。
卒業シーズン&母の日&クリスマス。
その頃は朝方まで商品づくりをしてました。
その時の、同い年の店長(女性)が、最初に
「もぉりぃ」と呼んでくれたのでした。
実はなかなかハードな花屋の仕事、
それでも1年半ほど続けたのだけど、
昼夜逆転した生活が、どうにもなぁ…
となってきて、辞めたのが、翌年8月。
その年の春に、弟の自衛隊退職金を頭金に借りて
250㏄のバイクを購入しており、
花屋を辞めるのを機に、友人と四国一周しました。
時計回りで、室戸岬を訪れた際、
1年半前、私と同じ頃に働き出した、
あまりお酒を飲めなかったの年下の仕事仲間は
その時も残っていて、なんだか丸くなったと思ったら、
なんとあれから10キロも体重が増えたそうで、
あの時私が辞めたのは、賢明だったと再認識したのでした。
その後、働いたのが、大手物流会社の派遣事務員。
日中の仕事。基本、定時で帰れる仕事。
そうすると、
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんが
「あなたの指導霊さんは、あなたがもし男だったら
建築家にならせたかったみたいですよ」
と言ってくれた言葉がキッカケになって
かつて、ログハウスに憧れて、紹介してもらった
ログハウスビルダーの方に、
「二級建築士の資格を取っておくといいかもね」
と言われたのが頭の片隅にあったもんだから、
仕事終わりに、座学の勉強をするために、
終業後日建学院に通ったのが、この頃でした。
学費はローン。
バイクもローン(が残ってる)。
さすがにそれは厳しいと、
半年でバイクを手放したのでした。
あぁ、もぅちょっと話を進めるはずが、
今日のところは、この辺で
あ、思い出した
実は、昨日の午後、突然顔が、赤く腫れ…
何事かと思ったら、どうやら、
ギンナンアレルギーらしいのです
こうしてつながるあなたが
今日も、より軽やかに
地球を楽しめますように
もぉりぃ
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