木漏れ日亭~つながりの広場~ -7ページ目

木漏れ日亭~つながりの広場~

まえむき心、あったか心、やさしさ心。

ぼくが伝えていきたいなあって思うことです。

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 それでもいじめられているという感覚は長くは続かなかった。

 

 入院中にみんなが書いてくれた寄せ書きは確かに持っていたし、先生がみんなによく言い聞かせていたから。

 

 それにぼくはわざと頭を触らせたり、自分からおちゃらけて見せたりした。そうしてないと常に痛む頭と、常に痛む身体に負けそうになるから。

 

 誰も知る人のいなかった教室。通った記憶のなかった通学路。ランドセルではなく、肩かけ鞄で通学をしていたぼくに、積極的に話しかけてくる同級生も最初は少なかった。

 

 悪意のない子供のストレートな言動にも、すぐに耐性ができた。おちゃらけてみせながら、だんだんと孤独にも慣れてきたと思った矢先、ぼくに話しかけてきてくれた女の子がいた。

 

 その子は大柄で、急激に身長の伸びたぼくよりも少し背が高いくらいだった。性格は、とてものんびりとしたおおらかな女の子。

 その子はぼくの見た目のことなんてこれっぽっちも気にしていないようで、あれこれと気にかけてみんなとの関係をとりもってくれたりして。復学後、とても仲良しになれたお友達の一人になった。

 

 

「私のこと好きって言ってくれたの覚えてる? 思い出してよ」

 

 しばらくたって学校にも一人で通えるようになった頃、その子がぼくに言った。

 

 ぼくはずっとちっちゃくて、一度も後ろで前ならへをしたことがなかったくらいほんとにちっちゃい子だったって。そんなちびが、ぼくよりもずっとおっきいその子に告白をした。

 その時のぼくはどんな思いだったのか。そしてその子がなんて答えたのか。今になっても思い出すことはない。その時はそう言われて、なんだか妙に残念に思った気持ちと、その一方ではまるで他人事みたいに思ったことは、今でもよく覚えてる。

 

 

 ぼくが復学をしてしばらくした冬の寒い日に、その女の子は旅立った。

 

 風邪をこじらせ、ばい菌が背中に回って助からなかったって聞いた。

 

 冷たい雨の降りしきる中、煙突から立ち上る煙を見上げながら、記憶も思い出も何もなかったぼくの、ぼく自身の初めてといっていい思い出のお話。

 ぼくは火星人になった。

 

 

 知らない家も少しずつ、ああここが僕の暮らす家なんだなあって思えるようになってきた、年も明けてまだ寒いころ。

 

 2階のぼくの部屋に階段を上がっていくこともままならないまま、1階の居間にあるソファベッドがぼくの唯一のスペースだった。

 

 療養生活が始まって、お母さんやお姉ちゃんから思い出や記憶にかけているところを補ってもらい(お父さんの顔はあんまり見かけなかった)ながら、小学校の勉強もし直した。

 

 文字は読めたし、字も書けたのはとても助かったけど、上手く字が書けないのはもどかしかった。たぶん事故の後遺症で、右半身にいくらかダメージがあったんだと思う。なんで思うかっていうと、我が家の方針? というか当時の家の事情からかもしれないけど、あんまり積極的に診察や治療、リハビリをしたっていう覚えがないんだ。だから後遺症についてもよく調べなかったし、その後も話題には出なかった。

 

 汚い字だけど書く事は出来たから、国語はなんとかなった。ひらがなやカタカナ、漢字も少しは読めたから、辞書を枕にして寝た。当時まだあった百科事典や図鑑なんかもとても勉強になったし。

 

 算数は……分数はおろか、足し算引き算も出来なかったから、1年生の教科書からやり直した。学校に通えるようになってからは、近所の公文に通ったのもとても役に立った。

 

 他の教科、社会や理科なんかもおんなじで勉強のし直し。とにかくひたすら教科書と、辞書のお世話になりました。あんまり動けなかったから(立つとふらつくし、上手く歩けなかったんだよね)、床ずれみたいになっちゃった。

 

 少しづつ立ち上がる訓練をして。

 ソファベッドの周りを自力で歩けるようになり。

 トイレにも自分の力で行けるようになり。

 

 丈の合わない服を何枚も重ね着して、2月ごろだったと思うんだけど、ぼくはようやく小学校に復学できた。

 

 

「だれだおまえ!」

 

「おまえなんかしらない、きもちわるい!」

 

「なんだよそのあたま! うわあきもちわるい、たこみたい、火星人かよ!」

 

「火星人! 火星人!」

 

 

 奇跡的に重体の状態から回復し、退院までの2週間と家での療養に3か月弱。

 

 その間にぼくの身長は急激に伸びたようで、すべての服のサイズは全く合わなくなっていたし、そのせいでまともに歩くことができず、常に関節がぎしぎしと音を立てていた。

 

 まともに歩けなかった理由はほかにもあって、強く頭を打って脳にダメージが残ってて。脳波が安定するまでの2年間、常にふらふらと、まとわりつく頭痛とめまいに悩まされていたんだ。

 

 そして極めつけは外見。

 

 急激に伸びた体は細く、それでいてものがあんまり食べられなかったから、ガリガリのヒョロヒョロ。ピコタンピコタン歩く姿の上に、頭がい骨と頭の皮膚の間に溜まった血のせいで膨れ上がり、ぐるぐる巻きにした包帯は意味をなさないでずり上がってて。

 

 子供の悪意のない言葉だ、思いついたまま言っただけ。

 

 今ならそう思えるけど、なにもないし、なにも覚えてないぼくからしたら、顔も誰なのかもわからない同級生たちからのその言葉、態度は、とてもきつかった。

 こんばんは。

 

 深夜ですねえ。

 

 

 昔からかなり無理をし通しの木漏れ日亭は、不惑の年を過ぎてからはまとまった睡眠ができなくなりました。

 

 大体2~3時間くらい寝られればいい方ですが、休みの日なんかはほぼほぼ動けません。ずっと慣習化している自分へのカウント、起きるのに何分、余韻に何分、次の行動にあと何分、この仕事にあと何分とか。

 

 でも仕事とか残すのが苦手で、残務や時間外労働には無頓着。そのせいでか、いつも家に帰るのは予想以上に遅く。

 

 これも寝不足? 睡眠時間の少なさに影響してますね、確実に。

 

 

 えー今ブログタイトルについてですが、詩を載せ始めたのはここアメブロからだと思います。他にもFacebookやX(なんかこのXって慣れない。Twitterの方が好きです)でも発信してますが、ここからのアップが多いです。

 

 そもそも詩を書き始めたのは小学低学年からのようですが、私録にある通り覚えていません。

 

 木漏れ日亭の生き方(重いっ!)の原点のようなので、大事にこの年までしてきました。なかなか伝わらないもどかしさはありますが、ごく一部の方であっても観に来てくださることがとても嬉しく、また励みになっています。本当にありがとうございます。

 

 

 ややもすると自己表現は他の方からすると一方的で、自画自賛を聞かされて嫌な思いにさせてしまうことがあります。自分もそう思うことは多々ありますが、ここで書かせていただいているのは、一種自己表現の側面性よりも、感情や気持ちの整理、つまり自己セラピーみたいなものなのかもしれません。

 

 話がそれているようですが、どうしてこのような話をしているかについて、まさに今タイトルについてのことなんです。

 

 だいぶ偏った知識や学習のせいで、自己表現の仕方が文字に偏重している自覚があり、そのためか現実社会生活での苦労や悩みも尽きません。

 

 さっきも記述した通り、自己セラピーの一環的な意味合いも含め、アメブロでの投稿を“ブログ” “詩録” “私録” とし、詩録は字のごとく詩の投稿。私録は、自分のこれまでの生い立ちやそこからくる考え方や思いなんかを綴り、ああこんなやつもいるんだなあとか、こんな考え方もあるんだなあとか、思ったり何かしら感じてもらえたらいいなと思って書き始めました。

 

 すみません、タイトルについて説明するつもりが、こんなに後になってしまうなんて思いもよらず。

 

 どうぞご寛恕のほど、よろしくお願いしつつ、どちらでもお付き合いいただけましたら幸いです(硬いっ!)。

 

 木漏れ日亭