前にも言ったけど、唯一といっていい残ってたこと。文字が読め、拙いながらも字が書けたことだった。
今でも本棚にひっそりと並べられている日記帳。そこには今はもういない頃のぼくが、途切れ途切れながらも書いた日記や、思いつきで書いていたであろう掌編小説や、学級文庫に収められた長編小説の原作なんかが眠っている。
かれこれ引っ越しも、事故当時住んでいた家から数えて8回くらいになるのかな?
引っ越すたんびに蔵書は売られ、捨てられ、人にあげたりしてなくなっていったけど、なぜかあの日記帳だけは一緒に今もいてくれる。
最初の家で療養生活をしていた時に、その日記帳を見たときはびっくりした。
あまりの字の汚さ(小学校5年生だ、汚くてもおかしくはないけど)と、思いつきであっちこっちに話が飛ぶ小説みたいなもの。それに詩。子供の書いた詩だけど、まあまあ読める。字の汚さを除けば。
面白いもので、まったく書いた記憶はないのに確かにそこにぼくがいた証拠なわけで。読み返してもなにも思い出すことがなくても、確かに小学校生活を謳歌していたぼくがいた爪痕なわけで。
おんなじように書いてみようと、ソファベッドに横たわりながらその日記帳に、新たに文字が並び始めた。
前にも書いたかもだけど、字の汚さがそっくりで(事故の後遺症からか、もっとひどい字だったかもしれないけど……)、それでいておんなじような詩が書けなくて。余計に頭を使いすぎて寝込んだり。でもあの頃には、今も定番中の定番である生まれ変わりやいきなおしなんてジャンルもなくて。
毎日毎日、日々の違和感と焦りみたいなものが襲ってきて。夜寝るのが怖くて、明かりを点けてないとどうにも落ち着かなくて。
そして寝られないから日記帳を取り出しては、とりとめのないことを書いたり消したり。少しづつあの頃の記憶も薄れてしまい、少年の多感な時期の心の葛藤や苦しみみたいなものも忘れてしまっていくけれども、たまにその日記帳を開いてみるんだ。
そうすると、再認識できて安心する。
今でも変わらない字の汚さと、書くことが好きな自分に。

