父が亡くなった。

 

享年86歳。

 

このブログにも、約7年前に脳出血を起こしたことを書いているけど、その時に一緒にアルツハイマーも診断されていた。

 

アルツハイマーは一般的に徐々に進行し、10年程度で末期に至る…と読んだことがある。

 

7年間、父は闘病したのだった…。

 

 

 

脳出血には失語症も伴っていた。

 

例えば「お箸」の絵が描いてあるカードを見せると、その答えとして「ものを食べるやつ」と答える。

 

だけど「お箸」とは答えられないという失語症。

 

「パンダ」の絵を見せたときには、「中国から寄贈されて来たんやなー」と答える。

 

パンダ、の方がよっぽど簡単なのになぁ…と驚かされた。

 

ものの名称は出てこなくても、用途やそれが何なのかは理解できていたので、普段の生活は表面上は問題なくできているように見えた。

 

 

それから数年は、穏やかに過ごしていた。

 

 

一度、父と母か2人で街に買い物に行ったときに、ちょっと目を離したすきに父がいなくなったと連絡が来て、弟も県外から駆けつけて大騒ぎになり、母は警察に捜索依頼までして探そうとしていたのだけど、父本人はちゃっかり電車に乗って自宅に帰っていたのだった。

 

(私自身は、と言うと、この時パナのファン感に出かけていて全く電話に気がつかず、ふとスマホの着信履歴を見たときにはもうある程度、ことが済んでいた…)

 

 

それからしばらくして、ある日いつの間にか家から出て行ったらしく、ほどなく母が気がついて、あわてて外に飛び出し道行く人に尋ねたりしていたら、道の脇の溝に倒れているところを発見した…と言うことも聞いた。

 

そのうち次第に失禁も出始めて、母が介護をするのも限界になり、実家に近いグループホームに入所することになった。

 

このホームは、最近できたばかりでとてもきれいで、すべてが個室で過ごしやすい環境が用意されていた。

 

グループホームと言うのは、認知症のある患者が共同生活をする、と言う感じの施設で、入所者は自分たちで食器を並べたり盛り付けをしたり、共に話をしたりと言うことがある程度できることが前提となっている。

 

父も入所した当初は歩行できていて、自室とホールを手助けしてもらいながら移動したりできていたのだけど、段々とうとうとしている時間が増えてきた。

 

ホールに出てもテレビの前に座らせても、ほとんど寝ている状態。

 

そして、それを見舞う母は、父の失禁でオムツ(全て購入して持参していた)がたくさん消費されていることに対して、ホームの職員が他の人にオムツを使っているんじゃないか、などと言い出していた。

 

そんなことはないのだけど、老人の猜疑心をぬぐうのは面倒で難しく、そして一日の大半をうとうとして過ごす父に個室は不要だろうと思い、私の家から近い老健に移ることにした。

 

もちろん費用も安くなるけれど、母がしょっちゅう見舞いに行って、職員のすることにいちいち文句を言わなくて済むように、距離をとることも目的のひとつだった。

 

老健では大部屋、そしてずっと車椅子に座る生活をしていたけれど、特に褥瘡も作らずに日常生活全般を介護してもらいながら生活していた。

 

この老健には、私の娘が月に2,3回夜勤のアルバイトに出かけていたので、私はほとんど行かなかったけれど、娘からの情報を得ることができていた。

 

「最近、じいちゃん食事食べさそうとしてスプーンを口に入れると、ものすごい力でかみつくねんやんか」

 

そう聞いたのは、入所してしばらくしてからのことだった。

 

面会に行って食事介助してみると、確かに一口ごとにかみつく。

 

スプーンは金属のものを使えず、やわらかいシリコン素材のスプーンを使ってくれていた。

 

それでも人間のかみつく力はものすごく強く、そのうちに歯がすり減ってしまった。

 

嚥下に問題はなかったので、施設の職員さんも上手く食事介助をしてくれていた。

 

 

その後しばらくして発熱があり、老健から急性期病院へ入院することになった。

 

高齢者に多い肺炎だったのか、詳しいことは忘れてしまったけど、入院して点滴治療を受けた。

 

数日の絶食ののちペースト食が出た。

 

もうこの頃には嚥下自体が怪しくなっていたので、時間をかけて食事介助をした。

 

ある時、尿失禁でオムツもシーツも濡れてしまったので交換する場に立ち会った。

 

この頃、四肢は「拘縮」までは行かなかったけど、歯を食いしばるのと同様、手足にも過剰に力が入ってしまい、人から触られると余計に縮こまるような状態だった。

 

看護師さんを手伝って更衣させたのだけど、その時に父の下腹部がかなり張っていた。

 

「これ、おしっこがたまってるんじゃないですかね?」と言ってみたが、担当看護師は「これだけおしっこが出てるんだし」というようなことを言って下腹部の張りは尿ではない、という見解を示した。

 

まぁ確かに、現にこうして更衣するくらい失禁してるんだもんな…とも思ったけれど、もしかしてこれは「溢尿(膀胱の中に尿が充満し、蓄えきれなくなってあふれ出てきていること)なんじゃないかな…」とも思って、もしそうならお腹が苦しくてかわいそうだなぁ…と思いつつ、この日は病院を後にした。

 

数日後、主治医に病状説明を聞いた。

 

CTを撮った、と言い、膀胱に尿がたまっていたと説明された。

 

つまりは尿閉だった。

 

(やっぱりね…)

 

今回の熱の原因は、これだったのだなと判明。

 

それから数日は内服薬で尿閉が改善するか見てみますと言われた。

 

今回がたまたま膀胱にたまりすぎて尿閉になっていたなら、次からは出るかも…出てほしい、出ますようにと、それから一週間程度様子を見てもらったけどダメだった。

 

尿閉は改善せず、バルーンカテーテルが入ることになった。

 

 

 

急性期病院を退院し、再びもとの施設に入所したが、一カ月に1回、バルーンカテーテルの交換のために病院に受診に行かなくてはならなくなった。

 

そのたびに介護タクシーを予約し、父を乗せて病院に行き、バルーンカテーテルを交換してもらってまた施設まで介護タクシーで帰る…これをこれからもずっと月に一度繰り返さないといけないのか…と内心うんざりしてしまった。

 

平日休みを取らないといけないと言うことが負担だったからだ…土日に交換してくれる病院を探そうかな…と思ったりしていた。

 

 

そうこうしているうちに、娘から今度は「じいちゃん顎が外れてるみたいや」という情報が入った。

 

「みんな大変な苦労してご飯食べさせてくれてるんやから」

 

面会に行くと、確かに口を開けた状態でいた。

 

顎が外れてる…でも時には口が閉じるので、この頃は外れたりはまったり、を繰り返していたのかもしれない。

 

それでももう、老健で看てもらうには限界だな…と思い、とうとう自分の勤める病院に入院をお願いすることにした。