光差す秋の午後に、ひとふしの賛美歌を聴いた。

それは、行きつけのカフェの帰り道。
青信号を見つめ、きっと直前で赤になるだろうと思いながら「さぁどうかな」と思うや否や、信号は点滅し始めた。
このまま涼しい顔で次の青を待つか、足を止めず右に曲がるかを迷った瞬間、突如賛美歌のような声の重なりが聴こえてきた!

それは2,3秒のコーラス。
強く真っ直ぐ天に上っていくような声だった。

男性パートの高めのソが印象的で、それと馴染むようにCコードの残り2音を女性パートが歌ったのかもしれない。
学生たちの発声練習なのだとわかったが、それと同時に、自分の心が素直に洗われていくのを感じた。

小中学生時代、ピアノ伴奏という立ち位置で多くの合唱に携わってきた。
それは全校集会に始まり、入学式、卒業式、学芸会、学校祭、音楽のテストまで様々だった。

私は集団で一緒に歌う楽しみをあまり体験せずに、目の前の歌の重なりをたった一人浴びて、時には皆と共に感動し、時には冷静に聴いていた学生だった。

勿論合唱コンクールに向けての練習は、選曲から気合が入り、下手でもなんでも歌の重なりを浴びるのは心地良いと感じていたが…

大人たちがこぞって言う「天使の歌声に心洗われました」「純粋なその歌声は、今だけのものなんだよ」という言葉だけがやたらと耳に残り、学生の私には、あまり実感がなかったのも確か。

それが今日、あの頃の大人たちと同じ感想を抱いた。
それだけ年をとったと言うことだ。

こんな風に、その当時はわからないままずっと残っている言葉が、もしかしたら私にとって大事な言葉なのかもしれない。

もう一度思い出す時まで、
実感するその時まで、
生きていたらいい。
人生捨てたもんじゃないと、こんな出来事一つで思えるのだから。

光差す秋の午後に、ひとふしの賛美歌を聴いた。