続きです。
※今回の記事は
痛みについて書いています。
過剰表現があるかもしれません。
痛みの感じ方には個人差がありますので、
あくまで私の場合です。
【術後1日目】
痛みはありましたが
波があり…
我慢できないほどでは
なかったです。
内心…
良かった、
この痛みがピークなら
多分なんとかなる。
痛いけど、耐えられる。
日に日に良くなるはずだもんね。
そう思っていました。
翌朝は採血と、
血栓予防の注射がありました。
血栓予防の注射は、
毎日朝晩するそうです。
わりと痛いです。
でも術後の痛みに比べたら
なんてことないです。
朝食はコレです。
125ml×2本
(ちなみに昨夜もコレでした)
お腹が空いていたので、
ごくごく飲みました。
飲み物は解禁されていたので、
ジュースなどを飲んでも良かったみたいです。
なんとなく、お茶にしていました。
完全母乳でいきたいと
伝えていたので、
体調を見ながら
双子兄くんの方に
添い乳していました
まだ吸う力が弱く
おっぱいを口に含む程度
でしたが。
9時半に痛み止めの点滴をして、
「トイレまで歩きましょう!」
と言われました。
その予定は聞いていたのですが、
とても立ち上がって
歩ける感じではなかったので、
「この痛み止めが
ものすごくよく効くのかな」
とか思っていました

痛み止めの点滴が終わって、
少しした頃に助産師さんが
部屋に来ました。
被害妄想かもしれませんが、
この助産師さんが
なかなかスパルタで…
と言うか、
強引な方だったかなと思います…
まず、
助産師さんに言われるまま、
ベッドで横向きになりました。
この時点でかなりかなりかなり
痛かったです。
多分、この時点では
この横向きが私の限界でした。
ここからは
痛みの限界を超えた話です。
なんとかベッドで
起き上がり、
座ったときは、
冷や汗は止まらないし
お腹はズキズキズキズキと痛み、
痺れるようなピリピリとした感覚が
脳まで刺激されてるような…
いやホントに。
パニックでした。
動けない、
立てない、
でも元に戻るのも怖い、
助産師さんが言いました、
「多分、今がいちばん痛いです。
でも、大丈夫です。
一度立ち上がってみましょう。」
立ち上がってさえしまえば、
痛みは治まっていくのかもしれない…
絶対そんなわけはないのに
もう思考回路がおかしいことに
なっていたんです。
歯を食いしばり、
渾身の力をこめて
立ち上がりました。
全身がビリビリとしました、
激しい痛みで、
とても立っていられなくなり
座りました。
「〇〇さん、(私の名前)
今、ここでやめたら
また立ち上がるところからです。
午後になっても、
使える痛み止めはロキソニンです。
今、頑張れば、
弟くんに会いに
新生児室まで行けますよ!」
そう言われて…
やるしかないと
思ってしまいました。
トイレまでは部屋から
わりとすぐです…
とにかくトイレまで行けばいい…
とにかくトイレまで行けばいい…
「点滴の棒は
キャスターがついていて
危ないので
体重をかけないでください」
そう前日に説明がありましたが、
全力で掴まりました。
左手で点滴、
右手は手すりに
全力で掴まりました。
右腕の痛みは、
少しずつ良くなっているものの
痛かったんですが、
この時のお腹の痛みに比べると
もう痛みと呼べる痛みではなかったです。
トイレまでの歩行。
気が狂いそうな、
頭がおかしくなりそうな、
激痛でした。
今まで、
多分味わったことのない
激痛でした。
あまりの痛みにパニックでした。
息を止めて、
歯を食いしばり、
その隙間から息をして、
その自分の息をする音を聞きながら
少しでも痛みを考えないように…
もうどうしたって
耐えられる痛みじゃない…
でも歩くしかない…
歩くしかない…
息をすることに意識を向け、
あとは気合いと、
弟くんの顔を思い浮かべていました。
痛みで
涙が出てきました。
涙が出ると呼吸が苦しくなるので
目をつぶって耐えました。
地獄でした。
ベッドまで戻ってきて横になると、
もう何も考えられませんでした。
助産師さんが
「歩けましたね!」
「尿管抜きましょう。」
「手術着脱ぎましょうね。」
「脚拭きますね。」
返事もできず、
されるがままでした。
言葉を発するのも
痛みに繋がる気がしました。
ただただ、
痛みが落ち着くのを待ちました。
歩く前に外した
脚に圧をかける機械の代わりに
着圧靴下を履かせてもらいました。
尿管が外され、
産褥ショーツに履き替えます。
ひたすら
歯を食いしばり、
目を瞑って、
ひたすらひたすら耐えていたとき…
多分、
着替えをしてくれていた
助産師さんの手が傷口に
触れたんです。
それかショーツのゴムが
触れたかわかりません。
痛い!!!
と叫ぶと、
もう涙が止まりませんでした。
号泣です。
痛くて、痛くて、痛くて、
泣きました。
痛い、痛い、痛い、
もう我慢できないくらい痛い、
助産師さんが困惑して、
言葉もかけられないくらい
号泣しました。
1、2分だったとは思いますが。
助産師さんが恐る恐る
「大丈夫ですか?
ショーツは、
自分で履いた方が
いいかもしれません。
私、後ろ側を持ってるので、
前を上げられますか?」
と聞かれ、
言う通りにしました。
そのあとは、
もうすぐお昼ごはんきますから
と言われ1人になりました。
1人になってからまた、
痛みで泣きました。
でも、泣くのもまたお腹に響き
痛かったので耐えました。
そのまま少し寝ました。
次から、
トイレは自力で
行かなきゃいけないと思うと
ゾッとしました。
母から
「調子はどう?
今日も様子見に行くね」
と連絡がありましたが、
「歩行訓練があまりにも辛かった、
誰とも話したくない、
来ても双子の顔を見たら
すぐに帰って」
と、返信をして
その言葉の冷たさに
自己嫌悪で悲しくなりました。
でも本当に、
誰とも話したくなかったのです。
それからお昼ごはんを食べて、
ロキソニンを飲み、
またうとうとしていました。
なんとなく尿意があり、
でもまた歩くことを考えると
恐怖で、
気づかないふりをしました。
しばらく我慢しましたが、
やはりトイレに行きたいと思い
助産師さんを呼びました。
またゆっくり立ち上がります。
悪露がたくさん出て、
脚を伝う感覚がありました。
着圧靴下が真っ赤になりました。
左手で点滴に全力で掴まり、
右手で手すりに掴まり、
なんとかトイレまで行きました。
ロキソニンの効果もあってか
朝よりは少し、
本当に、本当に少しですが楽でした。
それでもお腹は動くたびに
激しくズキズキと痛みます。
私のあまりにも痛そうな姿を見て、
年配の助産師さんが
点滴に子宮収縮の成分が
入ってるから、
点滴を抜けば
少し楽になるかもしれないと
点滴を抜いてくれました。
でも点滴の棒は
杖代わりだったので、
それがなくなる方が不安でした。
部屋に戻って少しすると、
双子を連れてきてくれました。
弟くんもです


2人が1つのベッドに寝ていました。
弟くんの足には
心電図を測る機械(?)が
つけられていました。
でも保育器を出られたんです。
お兄ちゃんと2人、
スヤスヤ寝ていました。
少し一緒に過ごしてみましょう、
3時の授乳もできたらしましょう、
と言われました。
弟くん、良かった。
やっと会えたね。
やっと会えたね。
会いたかったよ。
ごめんね。
苦しかったかな。
うまくお腹で育てて
あげられなくて、
ごめんね…
授乳はあまりうまく
吸ってくれなかったけど、
2人を抱っこできて幸せでした。
母も来てくれて、
結局、
面会時間が終わるまで
いてくれて、
安心しました。
痛みが強く、
八つ当たりをしまくりで
申し訳なかったけど。
その日の夜も、
授乳はお休みして寝ました。
明日は土曜日、
面会に来てくれると言っていた
親族や友人は断ってしまいました。
痛みで心の余裕が
なくなっていました。
夫からは
「こもちゃん(娘)は病棟に入れないし、
両家母にロビーで見ていてもらって、
顔だけ見たら帰るよ」
と連絡がありました。
いちばん痛みが強かったのが
この日の歩行訓練のときです。
帝王切開は、
もう本当に二度と無理だと
思いました。
帝王切開の
翌日の痛みに比べたら、
陣痛なんてなんでもないと
思いました。
会陰切開の恐怖なんて
なんでもなかったです。
子宮収縮の痛みは
我慢できたし、
切れた乳首の痛みだって
歯を食いしばれば
なんとかなりました。
でも、
帝王切開後に歩くのは
地獄でした。
本当に気が狂いそうでした。
後日談ですが…
私は自分の限界を超えて
歩行訓練をしました。
その後、
双子出産の妊婦さんに
二方お会いしましたが…
(同じ頃に4組の双子出産が
ありました)
手術翌日の午前中に
歩行訓練をされてる方はいなく、
同じ部屋になった方は
「痛いので無理です。」
と起き上がるのも断って
翌日は寝ていました。
また、
なんとかトイレまで歩けても
尿管は抜かないでもらったと
いう方もいました。
私も、
もう少し違う方法をとっていたら
ここまでの
恐怖心はなかったかもしれません。
歩行訓練は、
大事な第一歩ですけどね。
術後1日目の昼食と夕食。
おかゆと言われていたけど、
ご飯以外は
しっかり普通のおかずでした。
【2日目に続きます。】

