今日は、
とてもとてもとても、
ネガティブな話をします。



そうゆう話が嫌いな方は
読まないでください
と言うか、
不快にさせてしまうと
申し訳ないなと、
躊躇いながら…指を動かしています。



私自身、
こんな心の声を
文章にしていいのか
迷っているので、
この記事は削除するかもしれません。



この記事は、
だいぶ前から
時々加筆修正しては
読み返し、
「いや、こんな記事
投稿しちゃいけないよな…」
と思ってきました。



双子妊娠が発覚してからの
本音です。



いやぁ………
双子妊娠、




辛いです。





双子妊娠だから辛いのか…
それはただの言い訳なのか…
精神的に参っているのか…
わかりませんが。



娘の時と、
何かと比較してしまいます。



正直、
「単胎妊娠だったら…」
と、日に何度も思っています。
何度も何度も思っています。
何かある度に思っています。



酷い言葉を
たくさん使いますが…




なんで私が
こんな目に合わなきゃ
ならないんだろう…



と、思っています。



私と夫の場合、
どちらの家系にも双子はいません。
今回の妊娠は、
不妊治療や体外受精ではありません。


自然妊娠で一卵性双生児を
妊娠する確率は
0.3〜0.4%だそうです。



1000人に、3、4人。



2人目は、
確かに欲しかったです。
ひとりっ子は
寂しいなと思っていたから。



私は、
3人姉兄の末っ子で育ち、
姉や兄に可愛がられ、
楽しい記憶の多い
幼少時代を送りました。



いつしか
大家族に憧れ、
将来、
大家族になれたらなと
思った時期もありました。
幼い頃の話だけど。



でも二十歳を過ぎ、
社会に出て、
結婚や子育てや
生活にかかる費用や
お金を稼ぐことの大変さを知ると、
大家族は夢に消えてしまいました。



20代後半、
夫と結婚すると
子どもは2人は欲しいなと考えました。
あわよくば、
3人いてもいいなと思いました。



…確かに、
結婚当初、
3人いてもいいなと思いました。
でもそれは、
1人目を出産する前の話です。



やっぱり
何事も、
自分が経験しないと
わからないんだと思います。



出産や子育ての現実を
知ったのは、
実際に体験してからでした。



第一子を授かるのに
1年くらいかかりました。
その間に
超初期の流産の経験もし、
悲しみ、
基礎体温をつけ、
心待ちにしました。



と言っても、
毎月毎月
仲良し行為をしていたわけではなく、
夫婦2人での時間も楽しみながら
「大丈夫、きっと授かる」
そんな気持ちでした。



でも、
検査薬で陽性反応を見たときは
涙が出るほど嬉しかったです。



娘を妊娠中は、

実際に吐いてしまうことは
なかったものの、
吐き気を耐えるような
つわりも経験しました。



会社に行くのも辛い時期も
ありました。


蛋白尿やむくみ、
厳しい助産師さんの
言葉に落ち込んだこともあります。


頭痛は出産まで続き、
眠れない夜に苦しみました。

順調なだけの
妊娠生活ではなかったけど、



それでも、
予定日まで散歩や
階段の昇り降りをして過ごし、


予定日前日には
おしるしと呼ばれる出血があり、


予定日当日の朝から陣痛が始まり、
病院に着いて約4時間、
予定日当日のお昼に娘は
産まれました。



初めての陣痛は痛かった。
初めての出産は怖かった。
後陣痛もめちゃくちゃ痛かったし、
初めての授乳で切れた乳首も
歯を食いしばるほど痛かった。



母親、姉、友人、
たくさんの出産経験者に
励まされ、
こんなに大変なのかと
思い知りながら乗り越えてきました。



二度と無理だと思いました。




それでも妊娠中に
抗体の数値が低いことが
発覚した風疹の予防接種を
産後すぐに接種しました。
次の妊娠を考えてのことでした。



「初産で4時間だから、
2人目は2時間くらいで
出てきちゃうかもね。」
と助産師さんに言われたのを
鮮明に覚えています。



娘は、
あまりお昼寝をしない子でした。
3ヶ月を過ぎた頃、
寝不足や疲労から
「めまい症」になりました。



激しいめまいと戦いながら、
「もう少し、
あと3ヶ月、
せめて生後半年は
娘におっぱいをあげたい。
私の免疫を、
すべてあげたい。」
そう思いました。



・めまいがしたらすぐに横になる、
・娘と一緒に10分でもお昼寝をする、
・スマホはあまり見ない、
を心がけ、
症状は少しずつ
緩和されていきました。



産後約1年くらいして、
10キロ近く増えた体重は
元に戻りました。


仕事復帰に向けて
多少は努力したけど、
授乳中はとてもお腹が空いたので
これといったダイエットは
できませんでした。



仕事復帰は予定通り、
娘の1歳のお誕生日の日にしました。



仕事復帰してからの授乳は
なかなか大変だったけど、
それでも断乳しようとは思いませんでした。



夜中の授乳は断乳まで続き、
その間、
朝まで眠れた日はありません。



それでも、
2人目を
考えられるようになったのは、
娘が1歳を過ぎた頃でした。



妊娠中の辛さや、
陣痛や産後の痛みは
「めちゃめちゃ痛かった」
という記憶としてあったものの、
身体の回復とともに、
「娘に弟か妹ができたらいいな」
という気持ちが勝っていきました。



でも、
生理が再開しませんでした。

娘が2歳になっても
生理は再開しませんでした。



年に一度受けている
婦人科検診で相談し、
病院を受診したけど
特に問題はないと言われました。



ただ、
次の妊娠を望むなら
授乳は止めてもいいかも。
と言われました。



そこまでしなくていいと思いました。
断乳をする気はありませんでした。



娘が生まれてすぐは
乳首が切れてしまったので、
乳頭保護器ごしに
飲ませていたおっぱいを
直接飲ませられるようになった
生後1ヶ月半頃、
今まで感じたことのない
幸福感を感じました。



娘が自分から
飲まなくなるまで
授乳を続けようと思いました。
それが私の幸せでした。



そして2歳4ヶ月、
娘はまだおっぱいを
飲んでいましたが、
生理が再開しました。



年齢的なこともあり、
生理の再開後すぐに
2人目を考えました。



なんとなく
基礎体温をつけ、
生理再開から2回の仲良し、
3回目の予想排卵日後、
双子ちゃんは
お腹にきてくれました。



妊娠初期に出血があり、
やむなく断乳することになりました。
娘2歳8ヶ月でした。


この断乳は私にとって
とても無念でした。


意外とあっさり
おっぱい離れしてくれた娘に、
私の方が寂しかった…。



1回目の検診で
心拍が確認できました。
双子だとは言われませんでした。
(多分重なってて
わからなかったのだろうとのこと。)



2回目の検診は、
出血があったので
慌てて診てもらった時でした。
この時も、
双子妊娠はわかりませんでした。



3回目の検診で
双子妊娠が発覚しました。



それからずっと、
不安との戦いでした。

正直、
双子妊娠で不安や恐怖以外の
感情になったことが
ほぼないんです。



分娩予約をいち早く取った
近所の産院は、
入院する部屋は個室で、
家族も泊まれて
食事が美味しいことでも
有名でした。
産後エステがついていたり、
無痛分娩の選択もできました。



娘を総合病院で出産していたので
2人目は、
産院もいいなと思っていました。



人気の産院で
いつも混んではいましたが
ネット予約ができたし、
どの先生も感じが良く、
清潔感のある綺麗な産院でした。



その産院から
「双子はうちでは産めません。」
と言われ、
転院を余儀なくされました。



紹介状を書いてもらった
大きな大学病院は、
いつも混んでいて、
診察もお会計もとても待ちます。
採尿や採血は1階、
診察は4階、
広い院内を歩き回っての健診。
病室は選択できず、
空きがあるところへ。
16歳未満は病棟にも入れません。


 
健診に行く度に、
どうしても思ってしまうのです。



単胎妊娠だったら…



近所の産院で出産できたのに…
きっと普通分娩できたのに…
(できない可能性ももちろんありますが)



入院が長引く可能性だって
低かったし…
娘に寂しい思いをさせずに
すんだかもしれない。



3000gくらいで出産だから
お腹がこんなに
大きくなることもなかったのに…



仕事のこともそうでした。



単胎妊娠だったら…
もっと働けたのに。



双胎妊娠は産休も長く、
私は体調が悪かったので
それに有休もフルに消化しました。



昨年4月に
新しい部署に異動になっていたので、
仕事のルーティーンを覚えるのに
1年は働きたかった…
単胎妊娠だったら、
産休は4月からだったのに…



そんなことも
考えてしまっていました。



なんで私なんだろう…
なんで私なんだろう…
なんで…



神様、



私は、
双子を育てられるような
人じゃないんです。
夫も、
子煩悩なタイプではないんです。
うちは、
経済的にも裕福ではないんです。



都会に小さな小さな
一戸建てを建て、
夫婦共働きで
年に一度は海外旅行に行くのが
楽しみだったんです。



3人家族で、
満足するべきだったんだろうか…
2人目が欲しいなんて、
思ってはいけなかったんだろうか…



なんで私が…



夫は娘が生まれた後に、
「子どもは2人までにしよう、
あんまり生活を切り詰めるのも
嫌だし、家も狭いし。」
と言っていました。


私もそれに、
なんとなく賛同していました。



収納が少ない我が家は
荷物部屋で部屋が潰れていたし、
娘を生んで、
子育ての大変さや
それにかかるお金や
自分の自由がなくなる現実も
思い知らされてきました。



子どもが
3人いてもいいかなという考えは、
正直消えていたんです。



子育ては、
想像をはるかに超えるものでした。



仕事と子育ての両立は、
本当に本当に大変でした。



「子どもを作らない」
という選択肢は
私たち夫婦にはなかったけれど、
それもひとつの選択肢だと思いました。



もちろん、
娘のことをなかったことには
絶対にできません。
かけがえのない、
命に変えてもおしくない、
何よりも大切な存在です。



それとは切り離して、
子育ては
想像以上のものでした。



娘の激しいイヤイヤ期が
終息に向かった3歳を過ぎた頃、
やっと少し楽になったような
感じがあったけど、
子育てはまだまだ長い。



思春期に悩む親の声や、
進学、就職に悩む
職場の同僚の話も聞いていました。



まだ、
未熟者で、
いや、
きっと、
完璧なんかにはなれない、
いち人間が、

人間を育てる。

それは、
思い描いていたより
はるかに、はるかに、
葛藤の多いものでした。



娘を育てながら、
まだたったの3年と少しですが
たくさんのことと向き合いました。



「他人と暮らす」という
「結婚」も忍耐だけど、
「人間を育てる」という
「子育て」も忍耐でした。



それでも2人目が欲しいと思い、
仲良し行為をしたのは、
私たち夫婦です。



だって私は、
姉や兄に助けられ、
兄弟のいる素晴らしさを
いつも感じている。
娘にも、
兄弟を作ってあげたかったのです。



受け入れては…
受け入れられない…

そんな繰り返しでした。



夫も同じでした。
「もう車は軽自動車じゃ
出かけられないね」
「5人家族って、
タクシーは2台に分乗するのかな」
「海外旅行に行く余裕はないね」
「経済的にとても不安」


そんなことを言う彼に
腹を立て、
でも否定できず、
悲しさが広がっていきました。



妊娠中にかかるお金も、
娘の時とは違いました。
(大学病院だったのと、
年齢的なことかもしれません)



出産準備も2人分。
例え性別が男の子でも、
娘の物を使えると思っていたのに…



なんとか、なるとは思う。
なんとかなるとは思うんです。
きっとなんとかなるんです。



でも。



なんで私なんだろう。
なんで私なんだろう。



こんなことを思っちゃいけない。
こんなことを思っちゃいけない。



子どもが欲しくても、
授かれない人だっているんだ。



お腹の赤ちゃんに聞こえてしまう。
お腹の赤ちゃんにわかってしまう。



母親失格だ。



私は母親失格だ。



ごめんね。



せっかく私を選んで
お腹に来てくれたのに、


こんなことばかり思う
お母さんでごめんね。



ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。




でも辛いんだよ。
でも怖いんだもん。



まだまだ大きくなるお腹も怖い。
増え過ぎてる体重は、
産後元に戻せるかな。
帝王切開も怖い。
毎回待たされる健診も辛い。
身体がしんどくて、
娘とあまり遊んであげられないのも辛い。
娘に八つ当たりしている自分が嫌い。



双子が生まれたら…
育てられる?…
高齢の母や義母に
あまり負担をかけたくない。



なんで。
なんで。
なんで。



なんで双子なんだ。






神様、
こんなことを
思ってごめんなさい。



お腹の赤ちゃんたち、
こんなお母さんで
ごめんなさい。




予想外の双子妊娠は、
ネガティブな感情に苛まれ
とてもとても孤独でした。



でもでもでも、
最後に。



こんなに酷い言葉をならべたけど、
私は親として、責任を持ちます。



きっと何年かしたら、
良かったって思える。

私のところに、
来てくれてありがとうって
思えるでしょう。



いつか、
きっといつか、
こんなことを
思ってしまった自分を
未熟だったと
恥じると思います。



その時は今より、
「母親」で在りたいと
思います。



大丈夫、
きっと、
育てられる人のところだから、
授かったんだよ。
姉が、
最初に言ってくれた言葉です。