等身大の自分で、ホリスティックにあなたのセックスライフを豊かにしていく
Holistic Sex Life Coahフォルカー絵梨です。

私のライフストーリーをシリーズでお送りしています。

 

 

ライフストーリー12の続き

写真の仕事も順調だった。
1月7日、このころには子弟の関係を超えて親友か家族のように入り浸っていたKさんのお家で、Kさんのお母さんであるおばあちゃんの作る自慢の七草粥を食べながら、このレシピをいつまでも伝えたいねと言いながら、
私の手持ちのカメラでおばあちゃんや家族の写真を撮っていた。

その数か月後におばあちゃんが他界してしまった。
知らせを受け乱れる心を抑えながらも写真の仕事を終えて、葬儀に駆け付けた。
Kさんの娘ちゃんたちは私が撮った七草粥の時のおばあちゃんの写真を可愛い額に入れて、
「絵梨ちゃんが撮ってくれたこの写真のおばあちゃんがすごくいい顔をしていて、最後の写真になったの。こんな素敵な写真を撮ってくれてどうもありがとう」と涙ながらに家を訪れる度に伝えてくれ、
私が撮る写真がこんなににも誰かの大切なものになるんだと、心に深く受け止めた。
写真の意味にますます引き込まれて行ったし、自分の進む道だという確信が出来た。


大好きなフォトグラファーをしながら風俗嬢をして、本格的に写真の勉強を始め、とりあえず彼氏も出来て充実していた日々に長く深い暗闇が影を落とし始めた。



その場のノリで付き合いだした男が随分のダメ男で、最初のデートでセックスを迫ってくる割に(別に最初でもいいんだけどね)コンドームなんか持ってるわけねーだろとか逆切れしてくる人で、
コンドームも心地が悪いとかいう理由で端折りたがる野郎で、心配になった私は口径避妊ピルを取り始めた。


吐き気や精神バランスなどのピルの副作用に苦しみ始めたころ、
本業のカメラマンのバイトでいくつかミスが重なり、私を見込んでくれていた営業さんの強い引き止めも空しく、次の契約更新をもらえず、つまりクビになった。
一度目は初めて撮影をするドキドキの後輩のサポートでついて行った時に、後輩の過度の緊張のフォローに忙しく前のお店撮った3ショット分のデータを飛ばしてしまったこと
もう一つはおばあちゃんの葬儀の日に撮ったデータを担当の方が見つけられなくて、仕事後にかかって来た確認の電話に葬儀中で出られなかったこと。
けれどもミスはミス。
幾らでも代わりのいるアルバイトで使い捨ての身だった。
ずっと私の腕を信頼して頼ってくれた所属地域の営業さんも上司に直接掛け合って引き止めもしてくれたとのことで申し訳ない気持ちもいっぱいだった。


家へ帰って来て悔しくて悔しくて何日も泣いた。
自信にあふれていてこの道で行くんだという確信もあったのに切られてしまったショック。
理想の環境で、配属先にも恵まれ素晴らしい仲間と出来たことも今となっては全て壊れてしまった。
 

私大丈夫かな、立ち直らなきゃ。。。


そのショックをきっかけに、ピルによって不安定になった精神バランスと、
毎日昼間は暗闇で写真撮影をし、夜は暗い風俗で働き、休みの日には暗室に通う、光を浴びていない生活でセロトニンが異常に不足していて
一気に鬱に引き込まれていった。
どんどん暗闇の底に無重力で落ちていくような感覚。


今までも鬱になったけど、時間がかかっても自力で這い上がって来たから大丈夫。



そんな矢先に私の意図しないところでトラブルが起こっていた。


ずっと実家住まいだった我が家で、父の浮気が発覚し、母が修羅場を迎えたのだ。
父が浮気をしていたことは前々から態度や、トイレでこそこそ電話するなど謎の行動で気が付いていたが、
母も本格的に怪しみだし、1年前に定年を待たずして辞めた会社の退職金をつぎ込んで探偵を雇い、尾行調査を依頼したとのことで、証拠が出たのだ。


浮気現場の居酒屋に乗り込んで行った母は、父と浮気相手と修羅場になり、開き直った父から突然の離婚宣言を言い渡された。
それがショック過ぎて、母は自殺未遂を図ったり、家では泣いたり、自暴自棄になったりした。

私がこんな鬱状態で、でもこの母を支えなければいけない!
母を支えなくては‼
そう思った私は自分の限界を感じつつも、思い切って心療内科の門を叩いた。



ドクターに今までも鬱な時期があったこと
でも今回は一人の問題じゃなく、どうしても母を支えなければならないので、鬱病が脳の伝達の病気であるなら薬を処方して欲しいと伝えた。


家にいる時には母を精神的に支えるため、鬱にもかかわらず笑顔を振り絞ってくだらないジョークを言ったり、ふざけ合ったりした。

だんだん睡眠障害も出てくるようになり薬の量は増えた。
1年間限定で働こうと思っていた風俗も、鬱病では環境の変化に適応できないので、辞める計画を諦めそのまま働き続けることになった。


けれどもこれは吉と出た。


毎日ひっきりなしにつくお客さんはお金を払ってサービスを受けに来ている。
指名とか人気は高いわけでも何でも無かったけど、お客さんに100%満足してもらえることを目標に接客していた私は、
いつでもどんなお客さんにも笑顔で接した。
身の上を聞かれるたびに
「私カメラマンでね、海外に行って仕事をするのが夢なの」
写真の仕事は辞めてしまったけどいつまでも理想を語り続けた。
そして女の子たちとも、帰りの送迎をしてくれるドライバーさんたちとも上げマンとして楽しくてポジティブな話をしまくった。
鬱病だけど基本上げマンなんでねウインク


家に帰るとそのポジティブな態度と笑顔の余韻に浸った。
時々自分でもよく笑顔が出るなぁと思った。
この無理にでも作り出す笑顔や理想やポジティブな話にどれだけ自分自身が救われたか計り知れない。

 

 


冷たい暗闇の中で唯一手元を照らし続け、暖を与えてくれる小さな蝋燭の灯火みたいに。

小さな、だけど私を守ってくれるエネルギーの源である小さな小さな炎。


心と体は繋がっていて、どんなにつらい時にも理想を声に出すこと、ポジティブなビジョンを語ること、笑顔でいることは、体の五感を通して私たちの脳へ、心へと働きかけてくれる。
心と体のホリスティックな関係にも驚くほど気づきを得た。

鬱であることは誰にも言わなかったけど、この風俗店にもお客さんたちにも女の子たちにも、この時私を取り巻く環境にすごく感謝した。


人って裸になって性の部分になると初対面でも本当に心も裸になっていくんだよね。
そんな何もかも脱ぎ捨てた客の裸の身体と裸の心で、人間的に通じ合うものがいつもあった。



とある寒い冬の日の朝、父は荷物をまとめて遂に家を出て行ってしまった。
大好きだった父が、違う女を選んで、私たち子どもにも忘れてくれと言い捨て、少ない荷物を車に乗せて早朝静かに家を去って行った。
自分の部屋の窓から父の車がどんどん小さく離れていくのを眺めた。
あんなに愛し合っていた両親が、いつからか歯車が外れて、ちぐはぐになり、
元々自分の思ったことを特に口にしない性格の両親は互いに見て見ぬふりをして過ごしていた。
そのどんどん開いていく溝はもうすでに誰にも埋めることは出来なかった。

私がパートナーシップを扱うライフコーチになった今一番助けてあげたいのは当時の両親の夫婦関係だ。



鬱でいると本当に感覚も麻痺する。
付き合っていた男が、向上心のない人で、永久平なポジションにいながら資格を取ったら昇給するというのに資格を取る意欲もないし、
それでいてバツイチの子持ちで、元妻の所に子どもが3人いることも隠していた。
とにかく私に結婚を迫って来ては、自分は昇給する意欲もないのに結婚したら私へは就職をせまるし、
自由人である私の数カ月のバックパッカー旅にも社会人として、大人としてあり得ないと理解がなかった。
私の鬱病にも理解がなく、私の前では心配を装って、裏では出会い系の女に「彼女が鬱でウザいww」とかメールを送っていた。
学歴にコンプレックスのある彼は彼女からの賢い発言は好まないので、終始ぶりっ子をして私語していた(それはそれで面白かったけどね笑い泣き
でもそれは偽りの自分で、思ったことも感じたことも素直に表せない、本当の素の自分でいられない苦しさがあった。
正気の私ならこんな男願い下げ!なのに当時はどうしても環境を変えられず、彼氏という存在に依存していて別れることが出来なかった。


寂しく過ごす母が少しでも孤独にならないよう、ダメ男とはデートもそこそこに会う時の半分は我が家に連れ込んで過ごした。
母にも公認で裏事情を知らない母は早くダメ男と結婚しなさいと婚期を迫った。


どちらの方向に向いても苦しくて、抜け出せないスパイラルにはまっていった。