普段は棒針派の私、
だけどフェリシモで買ってあって
溜め込んでいたかぎ針のブランケット用のキットを
なんとなく引っ張り出してやってみたら、

何年も前、母親に教えてもらって
必死でギクシャク&ギコギコやっていたものが
編み図もよくわかるし、なんだかスラスラと出来て驚き!

DSC_0176.JPG

 

ここのところ何年も、
棒針編みの表編みと裏編みやっていただけだけど、
それが何らかの修行になっていたみたい!

で、何が困るかと言うと
何年も前、編んでいたのと一回り以上大きさが違う事。
(今回の方が正しいサイズ)

何年か前の分はブランケットの部品には無理そうだから、
フェルティングして鍋敷きにでもするかなー。

そして、かぎ針をやってみたら、
あんなに熱中していた「腹巻帽子」作りが急に退屈に…

随分、勝手だね!

 

DSC_0174.JPG
 

完成まであと10㎝くらい、

頑張りまーす。

ミステリを読む際、いつも頼りにしている
「東西ミステリベスト100」(文春文庫)。
1986年に発行されたものだけれど、
2013年に大改訂され発売された!
色んな作品の順位が入れ替わったり、
人気が変わらないものがあったり、
二冊を見比べているだけでもとても楽しい。

さて、この中で旧版で90位、
このほど24位と大躍進したこの作品に
興味をひかれ読んでみた。

都筑先生に、
ミステリ小説にはトリックや事件解決がメインな作品の他に、
ラストまでの紆余曲折を楽しむ種類のものがある、
と言うのを(本を通して)教えてもらい、

モースやフロストのおかげで、
実際(やっと?)面白がれるようになった私、

(何せミステリの海に飛び込んだきっかけが
ホームズ・シリーズだったもので、
ついつい完全犯罪をおこすことや、
よく出来たトリックを見破るのが「最高に偉い」と
すりこまれてしまったの)

今回も犯人を見破る、と言うより
いろんな推理や人間模様を楽しむタイプの作品。

ある素人芝居で、出演者の女が塔の上から落ちて
死亡する。

その女の名はジェゼベル、
豊満な肉体を武器に男を誘惑し、
たかったり強請ったりして暮らす女。
もうそれほど若くも無く、
その身勝手な生き方から敵も多い。

この女の人が
我儘で自己中心的で、
自分の得の為なら、なりふり構わない強烈なキャラクター、

それを傍観者として横目で見ている分には面白かったから、
墜落してあっさり死んでしまったときには
なんだか残念な気持ちが…。

コックリル警部みたいに
駄目そうなおじさんが実は切れ者で活躍する、
と言うの、みんなも大好きだよね!

こんなこと、実際はある訳ないけど(ごめんね)
この世界にどっぷりとはまって楽しめた。

また、コックリル→コッキー、みたいな
パーペチュア→ペピイ、みたいな

可愛くって面白くって、思わず呼びたくなる愛称、
わたしも欲しい!
お屋敷奉公の内幕(?)の本、
「おだまり、ローズ」を読んでいるあたりから、
この小説が実在の執事をモデルにしている、
と言うのを知り、読んでみようと思った。

一流の執事になることを目指し、
実際その地位を確立した、スティーブンス、

長年仕えたダーリントン卿亡き後、
屋敷を買い取り、引き続きスティーブンスを雇うことになった
新しい主人から、ある日、
自分の留守中、たまには休暇を取って出かけるように言われる。

そこで、過去に一緒にお屋敷で働いていた女性に
会いに行くことにするが…

「品格のある執事」を目指すスティーブンスが
やることなすこと自分の感情をなくして
「執事はこうであるべし」で行動するから、
御立派ではあるけれど、
なんだかいちいちしち面倒くさいお人だなあ…と
少々うんざりして、
でも実際こんな人生ってさぁ…と思ったとき、

「あ、そうか、スティーブンスもそれに気付いたんだ!」
と言う事がわかった!

敬愛していたダーリントン卿がある策略に利用され、
名誉を失墜したまま悲劇的な方法で亡くなってしまった今、

かつてお屋敷で開かれていたような華やかな行事もなく、
使用人の数もわずかとなり、

自分の選んだ道が最良だったのかな?と折々考えてしまう気持ち、

「もしかしたらあの時、ああだったかも?」
「あの人、こう思ってくれていたのかも?」
なあんて、思いめぐらせて、

そして、今回の旅行で会いに行く女性がくれた手紙を
何度も読み返しては、
自分の都合のよい解釈をどんどんしてしまう感じ、
あるなー。

実際に再会したら、
自分の想像とは拍子抜けするほど「違う」んだけれど、
(これも、あるなー。)

救いのある部分もあった。
だから余計に戻らない時間が切ない訳だ…。

「わたしはこうして執事になった」のエドウィン・リーがモデル、
と言われているけれど、

「わたしは…」を読む限り、確かに「執事界のレジェンド」と
言われた男だから、一側面ではあるんだろうけれど、
リー氏はもっとお茶目でユーモアのある印象、であった。
先日読んで大変に面白かった
「おだまり、ローズ-子爵夫人付きメイドの回想」
の作者、ロジーナ・ハリソンがお屋敷奉公仲間に
インタビューしたもの。

「おだまり、ローズ」を読みながら
図書館へ予約を入れたのが2月、
やっと順番が回ってきました。

それでもまぁまぁ予約が入っていても
気長に待てば借りられるんだな、と思った。

(今回はほかにも読みたい本が
身近にたくさんあったので買わずに待っていられた)

執事界のレジェンド、エドウィン・リーをはじめ、
執事の王子 チャールズ・ディーン、など
5人の男性のお屋敷や仕えたご主人の思い出や
仲間とのエピソードがどれもこれも興味深く
あっという間に読了してしまった!

仲間同士ではざっくばらんにしていても
いざ本番となれば、かっこいい制服を着て、
身のこなしもエレガントに登場、

でもそういう時ですら、ゴードン・グリメッドは
ふざけてくるみたいで、
本人のエピソードも愉快だし、
リー氏のお話の中の「この私でも笑いを堪えることが
難しかった」と言うエピソードに出てきて、
本当に剽軽な人なんだな、と
なんだか嬉しくなった。

どの人も自分たちが誇りをもってやってきた仕事や
とりまく環境、また人材も遠い過去のもの、と言って
寂しがっている。

この本の書かれた当時から(1976年)
沢山の使用人を雇うと言うのも無いし、
お屋敷もどんなにお金持ちでも維持するのが難しいので
みな手放したり、
観光地として一部開放してなんとかやっている
というような状況だったみたい。

お屋敷の主人、奥様、招待客、
執事から下男、女中やシェフ、またボーイに至るまで
自分の役割を楽しく演じている印象。

色々裏話やお屋敷奉公あるあるも満載で
とても楽しめた。

「おだまり、ローズ」のときも思ったけれど
主従を越えた信頼関係と言うのがうらやましい、

だからこそ、雇われている人が「やめたい」と言ったときに
主人側が「裏切られた」と思って怒る気持ち、と言うの、
これがすごくわかる気がする。

例えば雇われている人はそれを忘れることは無いけれど、
雇っている側は尽くしてもらっているのを
すべて「愛情」と思ってしまうようになるのかな?と。

今はエドウィン・リーがモデルと言われている、
カズオ・イシグロの「日の名残り」を読みだしています。
(やり過ぎ?)

いよいよ四つ目

DSC_0167.JPG

これは母上のお友達(私もお世話になっている方)に

差し上げる予定!

出来上がってもお渡しせず、

秋になったらプレゼントする予定!

(だって、もう、渡されても暑いだろうから~)

 

糸はドイツの「けいとや」さんで買いました。

ドイツから国際郵便でやってくるのに、

送料無料!すごいお店だ…。

 

「けいとや」さんは

Opal毛糸も色々取り揃えてくださっているけれど、

Opal毛糸は東北復興の為に頑張ってくださっている

梅村マルティナさんのところでなるべく買いたい、

それが仁義ってもんだ!

 

でもさ、ね、その他の糸なら、ね、いいよね?!

(って、誰に言い訳?)

 

Opal毛糸じゃないけれど、この糸も

とっても可愛くって、編んでいて嬉しくなる。

 

春夏の糸が嫌いな私は

去年は夏もクーラーかけて冬糸で編んでた。

今年はどうするか、思案中。

 

だって去年、夏が終わって、

編み物を持つ手に涼しい風が吹いた時、

やっぱりすごくほっとしたから…!

 

こちらの本は、5月の大型連休の際、
実家で母上の本棚をみていたら、
「あ、前からなんとなーく読みたいと思っていて
でも読んでいなかった本だ!」と発見し、
借りてきた。

主人公クローディアは家庭での不満から家出をする、
行先はニューヨークのメトロポリタン美術館…。

感想はと言うと、
はっきり申し上げてあんまり面白くなかったのだ。

でも読了した日から、
なぜ私はこの本を面白くないと感じたのかを
折々考えている。

まず、主人公の家出の理由が甘ったれすぎる、と言う事。
例えばディケンズのディヴィッド君のことを考えれば
(比較の対象が激しすぎるきらいもあるが)
恵まれている環境でのわがままと気付くはずなんだよね。

ま、百歩譲って家出してもいいけど、
持っているお金目当てに弟を誘うってのも
なんだか虫がよすぎるし、
家出の期間が長すぎるでしょ!
(お父さんとお母さんの気持ちを考えなせえ!)

あと私はクローディアとおんなじことを
したいと思わない、と言うのが大きいね。

つまり「面白い」と思った本(特に児童文学)について
自分がこうなりたい、またはこんな事が起こって欲しい、
と思っているんだな、と言う事がわかってしまった。

とは言え、全然面白くないという訳でもなく、
言い回しとかが、ちょっと気の利いた感じはあった。
(なんとなく上から)

でももしも、もしかして、
わたしがもっと小さい時に読んだら、
夢中になったのかしらん?

悲しいことに私の視線が
すっかり親側になってしまっているのかも。
この前に読んだ「航路」のどこかに引用されていて、
「ふーむ、ワイルダーって言っても
『大草原』だけじゃないのね…」と
ふと、そんな風に思った、
だからどんな文章だったかも、
どこに出てきたかもわからなくなったけれど、

読了した日にBBの本屋さんで
いつもの様に
ハヤカワ&創元のミステリコーナーを
つぶさに観察、
「うちに来たい子はいるか~?」とやっていたとき、
この本の背表紙が目に飛び込んできて
なんだか運命を感じて買いました。

ストーリーはアメリカのある州の小さな町で
周りから祝福され、幼なじみ同士で結婚した
エミリーとジョージ。
幸せな結婚生活が続いたが、ある日…

って言う裏表紙の粗筋を見て
「やだ、やだ、やだ、あーぁ、もう悲しい、
そういうのやめてよ~」と思ったのに

私の考えていることとは違う、
もっともっと悲しいことだったの!
(私は最近よく耳にするゲスなんとかの方を
想像してしまっていたの)

でも、悲しいんだけれど、でもなんか
「そっかぁ~」ってなってね…。

なんか「そっかぁ~」って。(二回言ったね)

うん、読んでよかったなあ~。

私が女優目指してたら、
なんとしてもエミリーの役、とりたいものだわ!
(後書きに役をつかみそこねて
自殺した女優がいると書いてあったのに
引っ張られ気味)

 

 

 

最初図書館で借りて読んで、

たまらなく面白くてすぐに買って、

 

文庫が出た時も「持ち運び用に良いや!」と買って読んだから、

 

今回は3回目だ。

ある本を読み終わって
もう面白さが確実にわかっている本を読んで
次の本を読む前に調整すると言うか、
なんかそんな感じで
とばしとばし面白いところだけ読もう
なんて手に取ったけれど、

そんなことはもちろん出来ず、
じっくりとっくり読んでしまったわい!

主人公は認知心理学者のジョアンナ・ランダー。
臨死体験の研究をしていたけれど、
とあるプロジェクトに誘われて…

この主人公がカーディガンとメガネの
ちょい野暮ったいけどやっぱり(多分)美人。

こういう「ガープの世界」のヘレンみたいな
すぐに気付かないんだけれど徐々に綺麗さがわかるタイプに
憧れるんだなー。

この本は

「あ…!あれ…?これ…?」からの
「えええええ!待って、待って、待って!」となり、
「あれ…(呆然)」そして、
しばらく「まさか、だって、ねえ?」で
お約束を待つも、待ちぼうけ…の衝撃。

そんなんで初めて読むのが一番楽しい気がしたけれど、

もうわかっていて読むと「あ、これ」「これもだ」と折々に
散りばめられているものがわかって、それはそれで楽しいや。

最後の方にメイジーの受けた「ある事」は、
私が常々おかしいと思っていることで
普段なら絶対嫌なのだけれど、

この世界はこの世界で、ここ(現実)とは違うってことで、
しょうがない、許しちゃろう。

自分の都合を優先して話をやめない人が
本当にたくさん出てきてイライラして読めないと言う
感想を折々耳にする。

私もそこが本当にうんざりだったんだけれど、
それでもこの本面白い!楽しい!と思えるのは
乗り越えると(読了の意味か?)
実はそこも魅力に変わるのか?と思うのと

三回目の今回はそんなに気にならなかったんだよね…。

単に慣れたのか、
年齢を重ねて人を許せるようになったのか、不明だけれど!

SFって言っても全然出掛けて行かないから、
わたしみたいな何かしら理由をつけては家にいたい
超インドア派にとても合ってる!

先日、白水社さんのツイートで知って、
発売される日を心待ちにしていた!

さてさて、大好きなマンスフィールド、
若くして亡くなっているため、
おのずと作品数は少ないわけで、
その為、今回も読んだことあるお話がほとんど。

でも訳文も読みやすくとても楽しめた。

難を言えば、題名の「不機嫌な女たち」の
『不機嫌』がなんだか納得できないと思うのと、
帯の「いつだってちやほやされたいの」と言う文に
マンスフィールドの作品が全くそぐわない、と思った。

確かにでてくる皆さまご機嫌は芳しくはないけれど
日本語で言う「不機嫌」とはちょっと違う気がするんだよね…。
不機嫌ってさ、
「さぁ…(シーン)、…知りませんけど…(ツーン)」
って感じじゃない?
やっぱりなんか、違うなあ。

ちやほや…、うーん、違うなあ。

今回の感想は、
私、「船の旅」と言う話が好きだな。

母親が亡くなって
祖父母の家にひきとられることになった
小さな女の子のお話。

おじいちゃんもおばあちゃんも優しくて、
おばあちゃんが亡くなったその子のお母さんの事も
好きだったと言う事を思わせるエピソードが良いな。

よく小説の世界ではひきとられた先で意地悪にあう、
と言うのが定番で、もちろん本当にそういう目に合って
苦しんでいる子もたくさんいるだろうけれど、
そればっかりじゃないと思うんだよね。

私は物心ついたときからおじいちゃんはいないから
おじいちゃんのことはわからないけれど、
おばあちゃんはどっちのおばあちゃんも
とても優しくしてくれたし、
おじさんおばさんもみんな親切だから、
小説の中のひきとられた先の環境が意地悪、と言う
「小説の中の常識」に
傷ついている人たちも
たくさんおられるのではないかな?
(もちろん、実際ひきとられたとしたら、
わかりませんけれど)

また、外国へ家庭教師に行く若い娘さんのお話、
「小さな家庭教師」、
これは本当にこういう事は星の数ほどあるから
若い娘さんは注意して!

どんなに「おじいちゃん」でも油断しないで!

ところで、マンスフィールドと言えば、
この本には入っていない
「湾の一日」(新潮文庫版、岩波版では「入り海」)
が私は最高に大好きなの。

これは自分が肉体のない魂だった時を
しっかり思い出せる素晴らしい作品。

ほんと、幽霊になって
あちこち訪ねてまわった時の感覚が
はっきりと甦ってきてとても楽しいから、
未読の方は是非。
このカール・フィルチュさんについては
実家に遊びに行ったときに日経新聞の
日曜日の裏側の日本全国の変わった趣味とか
活動とかをしている人の
自己紹介コーナー(?)のところで、
ピアニストの萩原千代さんと言う方が
書かれた文で知りました。

萩原さんはフィルチュさんに惚れ、
この方の素晴らしい才能を広める活動を
しておられる模様。

フィルチュさんは11歳でショパンの弟子となり、
その才能にショパンも驚愕、リストもびびった(?)
天才少年であったが、15歳まであと17日と言うときに
結核によりこの世を去った、とのこと。

才能溢れる若い方の夭逝、理由は結核…となると
なんだか「ほー」となってさらにさらに評価が上がってしまう私。
立原道造、樋口一葉 などなど…
俗物ですみません。

曲調もポロンポロンしていて良いですよ。

例えるなら…

ある決定的な手紙を、時がたった今、暖炉の前でそっと読むシーン、とか、

ある大事な人が去った(天国に?外国に?)その後、
その人が住んでいた家の中を思い出を頼りに歩いてまわるシーンとか、

今はこの世にいない美しいお嬢様が庭で遊んでいるところを思い出しているシーンとか、

映画ならそんな時に使われるような感じです。

母上に「あの方のCD、ポロンポロンしていて良いみたい」と言ったら、
「ショパンもそんな感じだもんね」と言われ、
そこは詳しくないのでモニャモニャしてしまった私です。