是枝監督の、「歩くような速さで」というエッセイを読んだ。
今日ちょうど授業で是枝監督が講師として来てくださったけど、この本で語られていることもたくさん話していただいた。
作品の企画の始まりについての話。
中でも、「空気人形」(恥ずかしながらまだ見ていない)の話が心に残る。
空気人形に、ふとしたことで穴が空いてしまい、好きな人に息で空気をふきこんでもらうというシーンに、監督は人が他者との関わりの中で満たされていくという姿を見出したのだそう。
「歩くような速さで」の空気人形について書かれた「欠如」に、吉野弘さんの「生命は」という詩が引用されていたので、ここでさらに引用させていただく。
生命は
自分自身では完結できないように
つくられているらしい
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
最近それをよく感じ始めている。
欠如だらけだ。いろいろ。
その欠如を、自分ひとりの力で埋めることができると、つい最近まで思っていたが、
到底無理だ。ひとりの力で埋められるほど強くない。人とのつながりは自分の成長に不可欠であると思う。
ひとりでいた方が気楽。
そう思う場面はよくあるし、ひとりの時間は誰にでも大切な時間だと思う。
けれど、その時間は、人とのつながりが絶えずあるからつくろうと思える時間なんじゃないか。
最近は、自分からひとりになっているのか、ひとりになってしまっているのか分からなくなってきた。
自分のプライドの高い、相手にプレッシャーを与えるような行動とか態度で、「ひとりになってしまう」のは刺激もないしどんどん世界が閉じて行く。それでなにより、さびしくて不安。そのさびしさは、自分の欠如が満たされないさびしさなんじゃないか。
今日は後輩を飲みにさそうなんて、「私らしくない」ことをした。
なぜ飲みに誘ったか?後輩といろんな話をして、楽しみたいからだ。
そういう素直な気持ちを、単純に行動に移すなんて私は滅多にしない。
気持ちを見透かされたくない、という謎のプライド?があるからだ。
じゃあなぜそのプライドを壊そうとしたのか、それは最近引っかかっていた自分の何か空虚感、そしてそれをズバリ言い当てた是枝監督の言葉によるものだと思う。
私らしくないことをするなんてものすごく恥ずかしいけど、そもそもこの私らしさで、得したことは少ない。
この私らしさを固持していくことで、将来自分がどんどん閉じた存在になっていく気がする。
自分にとって大事で好きな人には、性別関係なく、素直に自分の気持ちを伝えて、それで行動にも移していきたい。
それで思い切って誘ったけど、喜んでくれてとても恥ずかしいけどとても嬉しかった。
まだ飲みに行ってないけど、この一連の会話だけで何か、自分の何でもないプライドが小さくなった気がした。それでいてちょっと心地よかった。
他者との関わりで、自分が満たされる。
それは「誰かといられて満足」とか「安心」とかそういいう満たされるだけではなく・・・
弱い自分を成長させたり、何かを克服する力が満たされるのではないか。
自分は欠如だらけで、これからも人との出会いと付き合いでそれが満たされて、別れで新しい欠如ができて、出会いで新しく満たされる。その繰り返しかと思っている。
なんか詩的に書いておいて、結局自分の欠如って、しかも他者によって埋められる欠如って何か分からなかった。考えながら書いたけど結局分からなかった。うーん、もっと深く考えるべきか・・・未熟だ。