もめんとが今の教会の門を叩いたのは、4年前のこと、うつ病を患っていた時だった。

厭世感と身の置き所のなさに支配され、薬を飲んでいてもどうにも悲しくて苦しくてつらいのだ。
子供の世話も家事もできない。

とにかく生きる気力が奪われる感じで、背筋を伸ばして歩くことが出来ず、
四つん這いでしか動けない。

勇気を出してなんとかスーパーで買い物をするが、
レジの方がにこやかに「ありがとうございました。」と言ってくれるだけで、
もうありがたくて泣いてしまうのだから、
どれだけ神経がむき出しの敏感な状態になっているかがわかろうというものだ。

そんな時、教会に行きたいとふと思った。

あそこでいい。
自分がかつて通っていた幼稚園を持つ教会。


典礼のことなどわかりもせず、
ただ司祭の説教の言葉ひとつひとつが心にしみて泣けてきた。


神さまは、イエスさまは、
弱くみじめなものを決して見捨てられることはないと。


礼拝のあと、司祭に
「初めての方ですか。もしよろしければ、お名前を。」

と言われ、うつ病の人間は取り繕う気力がないので、
もう正直に
「もめんとと申します。今心の病がありまして、苦しくて苦しくてどうしようもなく、久しぶりに駆け込んでしまいました。
私はここの幼稚園の卒園生です。
イエス様のもとに、泣きにきました。」

そういいながら我慢が到底できず皆のまえで既に泣いているのだった。


そして少しずつ通うようになり、
ある時司祭との語らいで、

自分はやはりイエス様に心惹かれると言ったら、
「もう、あなたは立派なクリスチャンですよ。」
と言われたのでビックリした。

洗礼受けてないし、
そもそも受けるかどうかもまったく考えてない時である。

「洗礼を受けることは、もちろんキリスト教徒になることではありますが、
イエス様を慕う気持ちがある人はもう、クリスチャンなんですよ。」


「そうですか…。」


「イエス様はあなたを離すことはないでしょう。
いやずっと前からそうだったと思いますよ。
あなたが病をきっかけになぜここに来ようと思ったのか。
きっと導かれたんですね。」


確かに。
神さま、苦しいんだ!
頼む!
どうか助けてくれ!

その気持ちだけでアポイントもとらずにやってきたのだ。


ふしぎだ。ほんとうに。