”【追悼】峰さを理さんへ”② 影響を受けたあれこれ | 鉄子さんぽ♫〜人生は旅こころ〜

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こんばんは。 
鉄子さんぽのコノハナきょうこです。


峰さを理さんの追悼記事の続きです。



前記事内にリンクしたスタエフの語りですが、
まとまってなくてお恥ずかしいです!

でも、峰ちゃんと青春時代を共にしたような気持ちでいること、少しでも伝わったら本望です。

そして、峰ちゃんが、宝塚退団後もずっと美学を体現されていたこと、歌と日舞を愛し、ファンの方や共演者や宝塚の後輩ジェンヌさん達を愛し続けてこられたということ、色々な機会に伝わってきていました❣️

一番最近では

宝塚スカイステージという宝塚専門のCS放送で、
「宝塚魂〜宝塚の日本物について語る」番組があり、インタビューで出演されていました!✨✨

黒地に桜の花びら柄の素敵なお着物で、お美しく、とても熱を込めて宝塚の日本物の舞台の魅力について語られていました!

「日本舞踊を洋楽で踊ることに、自由な魅力を感じた」という言葉を聞いたときに、

私は、そこに一番魅力を感じたんだと気づきました!


日舞の基礎をしっかり体得した上で、時代に合わせて自由な表現の世界を魅せる。


自由なのにブレない。


笑顔もチャーミングで、幾つになっても凛として美しい、素敵な方でした。



これはあくまで私の人生のこぼれ話ですが、


私は、峰ちゃんの日本物を観て、その後、和裁の専門学校で、着物と洋服の融合のデザイナーを目指して、自分でデザインした衣装を着て写真を撮り、

就活も当時大河ドラマの衣装提供をしていた大手和装会社に、その写真を持って面接し、成績や出席日数は最低でしたが、その「和洋折衷のデザイナーを目指します」と言った意気込みだけで、無事採用されて、五年間その会社でお着物に囲まれて過ごすことができました。(その後、洋服も学びたくてブティックに転職しました)

紫子のプロマイドを探したら、一緒にその自作の衣装の写真も出てきたので

30年前ですが、載せてみます❣️

上着を着ている時は和装になっています 下矢印


上着を脱ぐとモノトーンのドレスになる!下矢印

舞台の上で、さっと脱いで肩にかける、というのをやってみたかった!
(30年前、、💦かなり成りきってますね


これくらい影響を受けたのが、峰ちゃんの日本物の舞台だったので、その特別感が少しでも伝われば嬉しいです。



実はこの頃一緒に舞台を観に行ったお友達とのその後の思い出も、、、、あるのですが、、、


また明日スタエフでお話しできたら、またブログに貼りたいと思います。


長々と、個人的な思い出を、書いてしまいました。


それぞれの心の中に、それぞれの美しさを持つ峰ちゃんがいます。きっと。


美しい世界を魅せ続けてくれて、ありがとうございました。

これからも、峰ちゃんの星の輝きのような歌声を、何度でも聴き続けますね。


ご冥福を、心よりお祈りします。


あなたのファンより🍀