JR山手線の原宿駅です。
竹下口寄りのホーム最後尾まで移動すると、前方に白い静かな佇まいの宮廷ホームが見えて来ます。
結構はっきり近くに見えるんですよね。
でも遠くから見ても、なんだか寂しそうですよね。2001年に最後に使われてから、16年間の間、主人を待って時間が止まったままのホームなのです。ある意味、忠犬ハチ公にも共通するスピリットを感じるのです。
ホームから内側を眺めた後は、、、
着きました!
白い清楚な寂しがりな駅です。
みなさん、お近くにお出での際は、是非寄ってあげて、声をかけてやってくださいね!
(と、ここでも言ってしまいました。だって本当にそう感じるんですよね。空の巣症候群に陥っている、実家で一人息子の訪れを待っている母のような、そんなスピリットを感じる駅なのです。)
柵はありますが、隙間から観ると
ちゃんと向こう側に走る電車も観えます。
近くまで来るけど〜〜
ココには停まらないの〜〜
わたし待〜〜つ〜〜わ〜〜
いつまでも待〜〜つ〜〜わ〜〜
う、うわ〜〜ん(←泣くな)
ちょっとドキドキ。
修理的な工事とかならいいんだけど、、
この駅の歴史的価値は、計り知れないのて、
原宿駅の改修工事でなくなってしまうことだけは、ないようにして欲しいと心から願っています。
(JRや渋谷区の負担だけに任せずに、東京都や国レベルで、是非とも、保全に努めて欲しいです)
ちなみに正式名称は、原宿駅側部乗降場です。
原宿駅の一部であるということですね。
お召し列車は、運行上の約束事が大変多く(並走は❌、上にクロスして走るのも❌、など)
ダイヤ編成が大変難しいこと、近年になってからお召し列車が東京駅や他の駅から出るようになったこと、などが長年ここを利用していない理由のようです。
ここはお召し列車通り、の看板が、足元にこれもひっそりと置かれています。
元々の目的が、大正時代、
病弱だった大正天皇が出来るだけ楽に沼津や葉山御用邸などの静養地に移動できるように、と、専用に作られた駅なのですね。なので、できるだけ簡素に、目立たずに、かつ早急に、という思いがあったのですね。
1925年(大正14年)10月15日完成。
試運転を経て、
翌年、大正15年の8月10日に初めて、葉山御用邸にここから出発されました。
けれども、大正天皇がこのホームにお戻りになられたのは、同年12月、崩御後の2日後の12月27日の霊柩列車によってのお戻りだったそうです。
その時の記憶も宿っているのだと思います。
‥‥‥
しんみりしてしまいましたが、
なんというか、
わたしの感じる駅、
電車、
そのココロを伝えることで、
それぞれの方の中に、
ご自分でふと感じてみたい、と思うタネみたいなものを提示することができたら、
あとは、そのそれぞれの感じ方で、捉えていただければ本望です!!
(知識はその後、なのですよね。)
で!
目にもカメラにも残したい!という方にオススメな、コノハナ的撮り鉄ポイントは、
ホームの一番左端の柵が斜めになっているところです!
わたしの好きなるあさんの曲に、
「時間(とき)を忘れたあの時計」
という曲があるのですが、この歌詞に
「時間(とき)に置いてきぼりを
くらったのではなくて、
自ら時間(とき)を忘れたんだよね、アンタは。
あれから何年経ってもやっぱりおんなじ時間(とき)
朝でも夜でも12時34分
朝でも夜でも12時34分
朝でも夜でも12時34分」
という歌詞があるんですね。
その歌がリフレインするんですねー。ここに来ると。
ちなみに、
「あの時計だって捨てたもんじゃないわ
だって、一日2回は必ず合うもの」
という歌詞もあり、そこはちょっとホッコリします良かったら聴いてみてくださいね。
ときに、
思いを馳せつつ書きました!
ではではまたね!
このあとは、原宿駅正面、そして裏側からも鑑賞後、
明治神宮へと向かいます!
9月もあとわずか。
良い週末をお過ごしくださいね〜。