1月4日、
正月から平日になり、
役所でできることを済ませる。

明石、数年前から役所ゴトが
駅前でできるようになった。便利。




その後、向かったのは、
亀の水。




お正月にテレビで飛び交う震災情報。

何ていうんやろう、
何か自分自身の感覚に不安になった。

阪神淡路大震災の記憶が
薄れてしまっていることが。


もう29年前、
当たり前といえば当たり前。

なので、少し、思い出しながら
歩きたくなった。
今回は、そんな散歩ブログです。
(どんなブログやねん🌀、
すいません、迷いながら書いてます)


いつもの神社、柿本神社、
の前にある湧き水、亀の水。


阪神淡路大震災、
当時、マンションの9階で死にそうな揺れから
無事だった後、飛び散って割れた皿やガラスを
片付け。
電気は午後には復旧。テレビをつける。

テレビで見るありえない光景に、
少しずつ自分達の置かれている状況を飲みこむ。


(お借りしました)

で、ガスと水は止まったまま。
レンジがあるし、ガスはまぁいい。

水、飲料水は前日沸かしたお茶が2本。
あと問題は、トイレの水。



自分は、小学校の頃、よく遊んでいた
この辺りを思い出し、
「亀の水に来れば水はある」
と思って、震災、翌早朝、亀の水に。

ちなみに、街灯や信号が壊れていたり、
道路どうなっているかわからずで、
夜、原付バイクで走るのが怖かったので
早朝に。
それにこの日はいろいろありすぎて疲れてた。


(お借りしました)
↑どうでもいいけど、緊張感のない顔の
イラストを選んでしまった💦


早朝にもかかわらず、交差点付近まで並んでた。
でも、たどり着けば水がある安堵感があった。
どれだけの人を救ったんやろな、亀の水。



そういえば、食器も洗わなくていいように
皿にラップして、食材はそこに盛ってなんて、
水を使わない悪あがきもした。

洗う水がもったいないのに、
食パンにバターを塗ろうとしている母親に、
「何してんねん、洗いもん増えるのに!」
て言ったのを覚えている。

今、思えば、あんな状況やからこそ、
いつもと変わらない美味しいもんを
食べさせてやろうという母親の思いが
あったと思う。

当時まだ、18歳。若かった。
もう少し言い方あったやろうに。

どうなるか分からんかったし、
分からんなりにどうにかしようと
必死やった。



水が当たり前のようにそこにある。
ほんまにありがたいこと。

そんな感覚も日常で薄れていく。

能登の震災。お正月からやめたってや。
と思う反面、明日は我が身。
ちゃんと備えとかな、と引き締められる。


明石海峡大橋、
当時はまだ完成する前やった。



明石駅、
特急スーパーはくと名探偵コナン号。
思わず撮ってしまう。
(平和なやつめ💦)


そんなことしながら、
神戸駅。


から、バス。
この日は、柿本神社も、湊川神社も、
なんとなく参拝せず、前で手だけ合わせる🙏
「そのお賽銭、募金にまわしたり」
と言われそうやったので。
(神様は関西弁ではないと思うが。。)


バスで向かったのは、神戸平野の祇園神社。

平安時代、869年、
京都で発生した疫病を治めるため、
姫路の廣峰神社から京都の祇園神社にご分霊。

その時、立ち寄られたところ。
それ以降、
廣峰神社と同じ神様が祀られてる神社。



年末、廣峰神社を参拝できなかったこともあり、こちらからご挨拶😌

震災のことも思いながら歩きたかったので、
神戸や長田を見渡せる場所ということもあり。


能登の震災、何もできないながら、
祈ることだけはしたかったのもあり。


疫病を治め、厄を祓った神様。

こちらに頼もしいもう一社。
末社、烏原神社。

もとは、このとなりの石井川の上流の村の神社。
明治の時代に、ダム建設、
昭和の時代に、神戸大空襲、
平成の時代に、阪神淡路大震災。

幾多の困難を乗り越えて
こちらに遷られてきた神様。

困難な時にも前を見る強さ、
頂けそうで。
手を合わせて帰ってくる。


今は苦しくても、
いつかまた笑顔が見れることを信じて。


長い階段を降りると、

私の神社参拝あるある、

参拝後、雨雲を呼ぶ男💦

バスを乗ってる間に通り雨。
まぁまぁ降ったみたい。


神戸駅に着いたら、あがってました。






昼食は、コンビニパンを公園で。
お釣りはレジ橫募金に、わずかやけど。。

震災の時、菓子パン、
洗い物ないし、食べた感あるし、
よく食べたのを思い出す。




この後、久しぶりに
メリケンパーク方面、ぶらり。
写真、撮りすぎたので、次回に。





📝追記

いろいろ募金、始まっている。
どこからがいいかもよく分からんけど。





あと、
妻の提案で買ったもの








お読み頂きありがとうございます🌳