昭和の根性論の話 | 米の心

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昭和といえばうさぎ跳びなどを今ではやらない練習などがありました。今は身体を痛めるということで奨励されなかったりしますね。炎天下の中でのしごきなどについてもやはり今の時代では考えられない事かもしれません。

高校野球が盛り上がっていますが、高校野球などでも昭和の根性論的な練習というのはかつてありました。そして指導者の中にはその中で育って来たので、今の時代の適切な指導が出来ず、結果パワハラだと騒がれたりとすることニュースになったりしています。

スポーツ科学の観点からすると、昭和のしごき倒すような練習が身体づくりにベストであるかということについては否定するかもしれません。

ただ、一方で野球をとっても、その昭和の根性論のような中からレジェンドが誕生し、その記録は実質上破る事が不可能なものというのもあるのは確かです。

その意味で言えば、彼らはその練習の中で実際に数字として結果を出しているのは確かであり、根性論が正しくないといくら否定をしようとしてもその結果がある以上、彼らのやり方が間違っていたということを指摘するのは簡単ではないといえます。

まぁ、だからこそ今の時代でも古い指導法というのが残っているのは確かなところです。

では、なぜ昭和の根性論の中彼らは今では考えられない様な結果を出せたのか。

一つには、先日終戦記念日でしたが、昭和、戦後復興の日本というのは非常に貧しい時代であったというのはあるかもしれません。裕福な家庭があったとしても、今からすればやはりそれはごく一部だったと思います。

プロ野球のレジェンドと言われて誰が思い浮かぶでしょうか?世界のホームランキング王さんでしょうか?ID野球で風靡した野村さん、スーパースターの長嶋さんでしょうか?

王さんは1940年生まれであり、もう80を越えています。昭和の並外れた記録を示し、プロ野球を盛り上げた人々は、戦前から、戦後間もなく辺りに生まれている方が多かったりします。まぁこの辺りはプロ野球リーグとしての隆盛の時代との兼ね合いもあったのかと思います。

プロ野球の通算勝利数、200勝の名球会入りの投手で見てみますと、1970年以降の選手は、工藤、山本昌、北別府さんの2人のみ。

284勝をした山田久志さんで69年生まれ。1970年が大坂万博があった年ですね。日本でカラーテレビが普及しだした時代になります。

この頃になると、カラーテレビを購入できるくらいですから各家庭も少しずつ裕福になって来たところはあるかもしれませんが、まだ戦後25年であり、その苦しい時代も知っている世代であり、厳しさも経験しつつ育っている世代かと思います。

戦争前後を経験している世代というのは、個人的には貧しさを経験しているにも関わらず、今の若い世代よりある意味で生命としての強さを感じることはしばしばあります。80歳、90歳の人の生命力、生きる事の強さというのは、苦しい中で生きていかなければならないという免疫の高さであったりというものを感じさせます。

貧しいからこそ、ストレスが多いからこそその中で生き抜く力が培われたというわけです。HSPなどのプロテインをみても刺激がある事によって、促され、それが免疫系などを高める事が分かっています。

昭和の根性論的な指導というのは、その意味で言えばストレスによる肉体への刺激はあったでしょうし、その中で遣り切ったと言う事で、結果を出して食らいつこうという精神面それらが、育まれるところは確かにあったのではないでしょうか。

過度なストレスなどは現在科学のトレーニングでは否定されるかもしれませんが、個人的にはそれはそれが可能な恵まれた環境を前提条件にしているからだと考えています。そもそも人間が生き抜くために他の生物などから逃げ、生き延びるために、超回復がどうのなんて話は言ってられないはずだからです。休ませる事ももちろん重要ですが休ませられない中で生き抜く力を生命はもつ必要もあるからです。

その意味で、そういう苦しい中で結果を出そうともがいたのであり、そして、対戦相手もまた自分たちと同様に恵まれた環境にあったわけではない日本人であるということもまた重要でしょう。その中でより一部の選手がより研ぎすまされえぐい結果を出したというわけです。

一方で昭和のレジェンドは多くいますが、日米野球ではアメリカ相手にいい結果を出した選手はごく一部です。これは、単純にその環境の差が大きいのかと思います。結局は昭和の根性論の中で貧しい同士であれば結果が出せたのかもしれませんが、より食的にも科学的にも発展していたアメリカとなればその差が今より見えたというわけです。

今のスポーツはその根性論の時代背景、環境とは大きく異なります。身体をじっくり休ませることもできれば、食事も身体にあったモノを選ぶ事が出来る様になりました。

生命としての強さは前者の時代の方が感じるかもしれませんが、今の環境に置いて結果を出せるのは後者なのは間違いないかと思います。

逆に言えば、昭和のあの時代の環境で今の科学トレーニングをした場合、結果を出せたかといえばそれはまた難しいかもしれません。(そもそも可能かと言う話ですが。)

その辺り結局のところ時代に適合したやり方があり、その中で結果を出していっているに過ぎないともいえるのかもしれません。