訃報 曙太郎 | 米の心

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元横綱曙太郎さんがお亡くなりになったとのことです。7年前に倒れて以来、闘病生活を過ごしておりましたが。11日心不全だったようです。54歳でした。

今は朝青龍や白鵬の時代を通してのモンゴル人が相撲界の中心となって久しい時代となってしまいましたが、その前の時代をささけたのが、日本人の兄弟横綱である若貴兄弟であり、そしてそのライバルとも言える相手であった、武蔵丸であり、曙でありました。

日本での外国人力士となると、モンゴル人の前は小錦に代表されるようなハワイ系力士というのが一時期非常に力をつけていた時代がありました。

小錦にしろ曙にしろ圧倒的な体格で日本人力士を圧倒していき、その中で小錦を打ち破る小兵舞の海などといった取り組みが日本人を沸き立てました。その中で、登場したのが若貴兄弟です。

子供の頃から有名であった若貴兄弟ですが、その相手ライバルとなる力士として、曙や武蔵丸という存在がいたからこそあの時日本の相撲というのは熱狂的になったと思っています。曙や武蔵丸ありきなんですよね。

引退後はプロレスや総合格闘技などでも活躍された曙ですが、日本人にも非常に親しまれた方だったように思います。

幕内の優勝回数は、11回。これは。歴代で10位となる優勝回数になります。

この20年で、朝青龍やら白鵬が出てきたことによって優勝回数がバグったような形になっていますが、優勝回数11回は非常に素晴らしい数字だと言えます。

曙と同世代以降を見ても同じくハワイアン力士の武蔵丸が12勝の他は、貴乃花の22勝、朝青龍の25勝があるくらいであり、二桁優勝している力士というのは本当にわずかしかなく、二桁勝利した力士のほとんどが親方として相撲協会に残れているという点からしてもそのことはわかります。

曙の場合は他の格闘技デビューを選んだために、相撲協会に残るという選択肢にはなりませんでした。

曙の他の格闘技での戦歴は決して芳しいものではありませんでした。

まぁ、この辺りは曙の年齢と相撲というスタイルの影響があるかなと思います。

曙はすでに横綱として継続するのが難しいから引退をしているのであり、年齢と怪我などからすれば全盛期の能力はすでになかったと言えます。

また、相撲という競技に関して言えば、)他の武道や格闘技と比較しても非常に短期決戦で終わるスポーツです。

なんせ、土俵のサイズは広くなく、そして、体の一部が土俵から出たらダメ、一部が地についてはダメというわけですから、なかなか他にはない縛りが強いということが言えます。

それもあってか、基本的には相撲は短期決戦です。

そして、相撲取りはその短期決戦で結果を出せるように最適化された人たちということができます。

曙は引退後、キックボクシングに挑戦していますが、早いラウンドで負けるということも少なくありませんでした。

キックはスピードが必要ですし、3R制であっても、1回の取り組みに必要なスタミナというのは相撲とは異なるところがあります。総合格闘技などにおいてもそうですね。

その意味では、力士を引退後にやってきた中ではプロレスのキャリアが一番ながく、確かに相撲取りのスタイルからすればプロレスのエンターテイメントの方が相性がいいかもしれません。

それぞれに様々なタイプがいる中で相手の技も受けながら見せることをプロレスであり、時間の流れ方というのも他の格闘技とは異なります。

現役時代から人気が高かったためプロレスファンを喜ばせることもできましたし、自分たちのスタイルをある程度貫ける舞台を用意してくれるというのは良かったのではないでしょうか?

横綱引退が01年であり、プロレスラーに転向したのが05年、そこから体調を崩すまでプロレスを支え続けたという点も、また評価されるべきだと思います。プロレスを盛り上げてきた方という点でも非常に貢献度あったのではないでしょうか?

それにしても、やはり相撲取りは特に感じますが、ちょっとお亡くなりになるのが早い方が多い気がしますね。

非常に体に負荷がかかるといった点が、後々に影響をしてしまうのでしょうか。もし何かしらの影響があるとすれば、その点も見直していくべきなのかもしれません。

曙太郎さん、ご冥福をお祈りいたします。