長崎市へのガンジー像設置の話 | 米の心

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昨年インド政府からの提案で長崎市は中島側のほとりにガンジー像を設置することを決定したようですが、このことが波紋を呼んでいるようです。地元自治会長の尾上重道さんもなぜこんなところにガンジーの像をなっているみたいですね。

銅像は台座も含めると2mを超えるようで、その大きさもインパクトになっているのだとか。道路を圧迫している点もあり、長崎市は市民への説明が不足していたとして設置場所の再検討をする方針を示すということになりました。

まぁ、実際のところほかの国からのこのような銅像などの設置の提案というのは耳にしますね。日本からというのはどうなのかは知りませんが、韓国の慰安婦像などの設置などは有名かもしれません。アメリカからすれば慰安婦なんて全く関係ない話であり、改めて日本でもそのような話があると確かになぜここにこれを設置するの?という話になるのもわかる気がします。

あえて、言えば、長崎は原爆が落とされたところであり、日本においても広島と長崎というのは平和に対しては特別な考え、思いがある地域、場所と呼べるかもしれません。

ガンジーもまた塩の行進であったり、非暴力不服従などを考えると、確かに平和という点では共通するところがあるのかもしれませんが、ちょっと強引な組み合わせという気がしますね。

ガンジーは割と若い頃はやんちゃをしていますし、日本だとインド独立運動の中心人物で、暴力なしにそれを成し遂げた聖人みたいなところがあります、まぁそういう綺麗な人というわけではないのでそのあたりはイメージが先行している気もします。

まぁもう故人でありますし、ガンジーは象徴的であり、それを良くも悪くも利用しようというところはあるのかなと思います。

インド政府からのガンジー像の設置の提案からのという話ですが、改めてこのような動きというのは行政の立場からすると難しそうな話でもあるように思います。

今回送られてきた銅像は巨大であり、その設置場所に困っているとのことでしたが、そもそも設置した後もその銅像に対して管理をする必要があるわけです。またそれを設置することで他に影響が出るのであれば市民の不満を買うことになります。

他国から頂いた銅像に対してむげな扱いはなかなかできないでしょう。キチンと手入れをし、かつ、その国への敬意を考えると相応に目立つ場所などに設置する必要性が生まれてきます。

一方で、今回で言えば長崎市は、ガンジーとのゆかりが決してあるわけではありません。とすると、なぜ公共の場にわざわざ関係のないガンジーの銅像を設置するんだ、そのために税金を使うんだという意見は当然に生まれてくる話です。それをする正当性を示すというのはそれほど簡単なことではないでしょう。

では、その設置の提案を断ることができるかといえばこれも簡単ではないかもしれません。

ガンジーはインド独立の象徴であり、非現実的なところはあるものの平和のシンボル的な面もありますから、その意味で言えば、断る理由が難しいわけです。

あるいは、日本人に対して差別的な言動がガンジーにあったというのであればそれを理由にともできるかもしれません。ガンジーはナチズムやファシスト政権のイタリアと同盟を結ぶ日本の動きへの疑問を示していますが、敗戦国となった日本からしてその同盟が正しいスタンスであったという主張をするのは難しいでしょう。

ガンジーについては黒人に対して差別的な発言があったとのことでアフリカで抗議運動があり、ガンジー像を撤廃するということになったことはあるそうですが、日本においては概ねガンジーに対してそれほど否定的とする意見はないかと思います。

そのような人物の銅像を、インド独立運のシンボルとなる人物の銅像を、日本との親睦、敬意を込めて送りたいなどと言われると、たとえ本当に送られてきてそれが不必要であると思ったとしてさえも、なかなか政治的に断るというのはお互いの関係性を考えると難しいように思います。穏便に収めようと思うと、一旦は引き取るという話になってしまうのもわかります。

まぁ、もちろん、この辺りはインド政府側としても重々承知かと思います。

それでもなお、そうすることは政治的な意味合いがあるから送りたいとなるわけです。ガンジー像にどれほどのそれがあるかはわかりませんが、慰安婦像などはその意図はより強いものであるように感じます。

ただ、その意図というのは、その歴史に対して深く関わりのない立場の人からすると、どれほどのものかはわかりません。日本からすればガンジー像にどれほどの意図があるのかは読み取れないですし、アメリカにおける慰安婦像もしかりです。

しかし、設置後そこに意味合いを持たせていくというのは、自分たちの正当性をより示すことができるようになるというわけです。

まぁそう考えると本当になかなか厄介な贈り物ともなるわけです。

もし、対策をするとすれば、丁重に扱いながらもそこに客観性をきちんと提示するということになるでしょうか?

なぜここにガンジー像が設置されたのか?と疑問になるのであれば、その疑問に対してただきちんと説明責任を果たせばいいだけなのです。

インド政府から申請があり、ガンジー像を設置してほしいとのことでしたので、親睦と国際交流のためにここに設置したという客観的な事実をそこに示せばいいというわけです。

そこにガンジーがどういう人物であるとか、長崎の平和への思いとかそこいらと結びつけるようなこともせず、逆に何の説明もしないで設置することもせず、端的に事実でこうこう理由で設置しましたよという説明をすればいいというわけです。

長崎市がガンジー像をどう扱うのかはわかりません。

実際に国際交流などを考えるとこのようなある種取り扱いに困るような贈り物がされるということはあることかと思いますが、それにどう対応するかということなのでしょうね。