新基準バットへの影響 | 米の心

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今年のセンバツ甲子園からは、飛ばないバットが適用となります。従来の金属バットが高性能になりすぎたため、HRなどが量産され、投手への負担が高まったことが原因と言われています。まぁ、投手への負担も理由の一つかと思いますが、元々の理由の一つはU18がずっと国際大会で結果を出せなかったというのがあったのかなと思います。

木内監督が率いる形で昨年ついにU18の代表選で優勝となりましたが、国際大会では木製バットに苦しむというのは長年起きており、それが勝ちにつながらなかったというのがあったかと思います。また、投手がプロ入りがすぐに活躍する選手も多い中、野手は期待されていてもなかなか芽が出ないケースも多く、プロへのフィットというところも意識してのことかと思われます。

いずれにしろ、高校野球と国際ルールやプロといった舞台の差がというのが大きく剥離している状態であったところを是正したかったというのが飛ばないバット導入の理由かなと思います。

もともと金属バットを使うようになったのは木製のバットだとすぐ折れるためにコストが高くなり過ぎて金銭的負担が高まるというのがあったところ、現在では飛ばない金属バットがアメリカなどでも使われており、そのような技術背景があっての流れといったところでしょうか。

さて、新しい金属バットはただ芯が狭くなり、低反発になっているというだけではなく、バットの最大径が67ミリから64ミリに小さくなっており、それによってバットに当てることそのものが難しくなっているのだとか。

わずか3ミリかもしれませんが、5%近いサイズダウンとなると、確かに今までの感覚で振っていればかすっていた、当たっていたところが、当たらなくなるということはあるかもしれませんね。

これは、特にその過渡期の選手にとっては非常に大きな戸惑いとなるかと思います。

今までのバットのサイズ感覚というのはその身に染み付いているからです。

3ミリの差というのは、大きいかもしれませんが、そもそも64ミリのバットをずっと振ってきた誰かにとってはそれはバットの通常の規格であり、そうなると別に当たりにくいもなにもないかもしれません。今までの67ミリをベースに育ってきており、それだけその環境で結果を出してきたからこそその誤差というのをより強く感じているのかなと思います。

ただ、一方でプロ野球などで使われるバットは最大径が66ミリ程度であり、従来の67ミリの方が近いと言えます。その意味で言えば、径まで小さくする必要はあったのかなという気はしないではないですね。

これらの要素により現在の高校野球ではバットに当たらない、飛ばないといった状況が生まれているようです。

相手に飛ばす脅威がないのであれば、守備シフトもより前目にすることができ、長打を少なくするということができ、それはロースコアなゲーム展開になりやすいということになります。

打者の環境が変化した一方で、投手の環境が急に変化したわけではありません。

WBCでも日本が優勝したのは圧倒的な投手力というのが背景にあったからかと思いますが、実際日本の投手育成レベルというのは非常に高く、それは高校野球においても同様です。

よって、非常に高いレベルの投手がいる中で、バットのレギュレーションが入ったということになりますから、より投手有利な展開、ロースコアになるというのは当たり前かもしれません。

打者から言えばそれだけハイレベルな投手というところにすぐに対応できないというのはある意味では当然かなと思います。

ただ、レギュレーションとしてこれが継続的であるとすれば、この変化というのは消化されることになるかと思いますし、そうであってほしいと思います。

つまりは、その環境に選手やチームがフィットしていき、飛ばないバットでもきちんと結果を出せるようになっていくとそれは、日本の野球界にとってはプロや国際大会へのフィットもよりスムーズになりますし大きな発展につながる可能性があるかと思います。

しかし、ここで一つ気になることがあるとすれば、このことと日本の勝利至上主義な野球というのは悪い反応を示す可能性があるといった点です。

高校野球はスモールベースボールをベースとしてきましたが、近年は選手の体格が大きくなり、バットもふれるようになり、また、金属バットの高性能化もあって打ち勝つ野球をするチームというのが増えてきました。

打ち勝つ野球というのは脳筋みたいな感じの側面もありますが、ある意味では選手の自由に野球ができ、縮こまった野球をさせないという意味では大きな変化だったと思います。

ここで、飛ばない、当たらないからといって、スモールベースボールを強制し、その中で勝利を勝ち取るという昭和の野球をしようする指導者というのは出てくる懸念があります。

勝つための野球を否定するわけではありませんが、高校野球というものにそれを求め過ぎ、選手に役割を強制しすぎる流れになるというのは個人的には好ましくないと思います。

例えば2番だからバントを徹底的にやらせる、それは確かのそのチームが勝つためにはある側面で有効に働くこともあるかもしれません。しかし、一方で高校時代という非常に成長が期待できる時代に多くの時間バント練習に時間を割き、それによって遠く飛ばす技術を身につけることができなかったというのであれば、そもそもその後大学やプロでの野球をする機会というのも絶たれる可能性が広がるということになります。

高校野球において、役割を果たす必要があるシーンがあるのは確かですが、それを徹底させるというのは、あまりにもその選手の可能性を狭めてしまうリスクがあるということになるわけです。

だからこそ、個人的には飛ばないバットになったとしても、その中でどうやってバットに当てるか、遠くに飛ばすかという技術を向上させてほしいと思いますし、そういう可能性を指導者が狭めてしまうということにはならないでほしいと思います。

飛ばないバットの導入というのは、そういう昭和のスモールベースボールに時代を遡らせるリスクというのがあるというわけです。

ただ、その選択をした高校は、一時的には結句を出せるかもしれませんが、将来的にその高校に可能性があるかは疑問だと思います。

そういうバッティングを求める高校であれば、その高校からプロで指名させる野手というのは自然確率が減るということになります。他方、他の高校がその中でも飛ばせる技術をつけようとノウハウを蓄積していった場合、数年は前者が結果出せるかもしれませんが、数年後は圧倒的に打てるチームに対してスモールベースボールでは対処するのが非常に困難になるからです。

また、これまでの日本の投手力の高さというのはある意味では、打者がそれだけ打てる環境だからその中で切磋琢磨をしてというのはあるかと思います。簡単に抑えられるのであれば、その中でより高いレベルへの向上心を持つのは簡単ではないからです。この点もどう変化していくのか気になるところです。

さて、今年のセンバツでは一体その辺りどのようになるでしょうか?注目ですね。