日航機衝突 | 米の心

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新年早々、能登半島での地震という心が痛むニュースが入って来ましたが、それに続く2日もまた悲しいニュースが続く事となりました。2日、日本航空と海上保安庁の航空機が衝突し、海上保安庁の乗組員5名がお亡くなりになりました。日航機の乗客379名は日本航空の乗組員の対応が素晴らしかったのもあり、怪我人等は出たものの無事脱出できたとのことです。

海上保安庁の航空機は、能登半島地震の被災者の為に物資を運ぶためだったという話であり、非常にいたたまれないところですね。

なぜ、衝突にあったのか、というところは現状として上がって来ているニュースとしては、管制官と機長との認識の食い違いというところにあるのかなという感じもしますが、私は空港の仕組みを詳しく分かっている人ではないので、管制官がどこまでそれぞれの進入状態などを確認するものなのか、安全装置みたいなものがあるのかなどは知らないためどうのいうのは難しいかなと思います。

ただ、認識の違いによる事故とまではいなないまでも、危ない状況というのは過去にも数例あったとの話はありますので、それが最悪の形で現れたのかなと思います。

海上保安庁の機長は、離陸の許可が出ていたといいますが、音声データ上はそれは見られず、また、滑走路に40秒待機していたというところからすると、それぞれの認識に齟齬があったのかなと思います。

海上保安庁の乗組員からすれば、被災地に少しでも早く届けなければならないと言う中で、他に気持ちがいってしまっていたのかもしれませんし、また、海上保安庁の今回の離陸というのは本来の羽田空港のスケジュールに組み込まれていたものではなかったです。

年末年始で国内旅行からのリターンラッシュのタイミングであり、そのために空港のスケジュールと言うのは過密になっていたと想定されます。つまりは、それだけ分刻みなどの非常に余裕のない状況というのが前提にあり、その中で、海上保安庁の航空機の臨時の離陸スケジュールというのがそこには入って来たわけですから、その意味で言えば、管制官の人もただでさえ余裕のない中で、入って来たものに対して十分に気を配る事が出来なかった可能性はあります。

海上保安庁の離陸は当初予定されていたものではなく、その意味では地震がなければ今回の事故はそもそも起こらず、通常通りのスケジュールをこなせていたかもしれないわけです。

その辺りは心のゆるみとか、なぜきちんと対応しなかったのかと片付けるだけでなく、もっと空港利用の上でどのくらい事故リスクをコントロールできる状態だったのかということも考えるべきかも知れません。

海上保安庁の航空機にしろ、そもそも、海上保安庁が常日頃からどれくらいそのような状況で、羽田からの離陸経験があるかといえば個人的には疑問があります。そのような非常時における羽田からの離陸は、今回のような被災にあった時などに限定され、常日頃からあった話とは考えにくいからです。

その意味で言えば、離陸許可があったと海上保安庁の機長の発言があったともされますが、どの程度訓練が出来ているか、羽田空港というところを分かっているか、管制官とのコミュニケーションが出来ているかというところには、果たしてJALの機長であったりと同様の水準であったかというのは難しいところがあるのかなという気もしないではないですね。今回の海上保安庁の機長は39歳といわれており、その年齢からしてもそれほど多くの十分な経験があったかというとその点はどうでしょうか。

日航機と海上保安庁の航空機の衝突事故ということで非常に残念なニュースとなりましたが、一方で日航機の乗客から死者が出なかったというのは奇跡的であると海外メディアからの報道もあるようです。

実際、18分という限られた時間の中で無事全員が脱出できたというのは素晴らしいですね。これは、JALのキャビンアテンドを中心に乗組員の対応が素晴らしかったというのがやはり大きかったのかと思いますが、個人的には乗客もまた、その状況において取り乱し、我先にといった行動に移らなかったというのが大きかったのかと思います。

ある意味では、これは日本人らしさというのが状況を冷静にした面というのはあったのかなという気もしますね。

ニュースなどを見ていると乗客の中には機内の状況を撮影している人もいたりしましたね。

撮影と言う意味で言えば、能登半島地震においても個々の撮影というのがあちらこちらで見られます。

災害における撮影というのはSNSでバズらせたいなどという思いで行動に移してしまう人もおり、一面ではマイナスの動きとなってしまうという点はありますが、一方で、その当事者からすれば、撮影と言った行為は、一種の客観性をそこに見出す事に成功する行為とも言えます。

当事者でありながらそれをレンズを通してみると言う事が出来、その現場にいながら一歩引いた様な状況をそこには生み出す事が出来ます。

乗客がもし慌てふためいていれば、撮影しようとはならなかったでしょうし、実際撮影している映像をみるとその撮影者は少なくともそのシーンにおいては冷静を維持する事に成功している様に思います。また、撮影している人がいるということは、撮影される側も一種の冷静さが生まれ易くなります。

スマホ社会になり、誰もが気軽に動画を取る時代になりましたが、その事は一種、何かあった時に、一つ落ちつかせるための手段となり得ているという点は、大きかったのかもしれません。もし、スマホなどもない状況であれば、あるいはもっと冷静でいられず、状況の中でJALの乗組員の指示に従わない行動に移すという人もあるいは増えたかもしれませんね。

さて、今回の話にもう一つ紐付けることがあるとすれば、それは鉄道の動きでしょうか?

今回の年末年始において、JRは混乱を避けるためということで、のぞみについては全席指定席にするなどの対処をしました。

その対処で混乱がなくなったかのかどうかというのは個人的にはよく知らないのですが、タイミングとしては残念なものになってしまったのかもしれませんね。滑走路が使えない事によって通常飛行機を交通手段にしていた人が、鉄道をつかう必要性も生まれるということになりますから。

 

その意味ではこの年始の混乱は、ある種一つ一つの積み重ねがより大きなものにしてしまった側面はあるのかもしれません。

年始早々のニュースが際立つものが多く、どこか自民党のニュースなど誰も意識しないでよくなったような動きになってきているような感じもしますが、それはそれ、それぞれの問題についてはきちんとアプローチして欲しいところでもあります。

お亡くなりになった海上保安官の方々にはご冥福をお祈りいたします。

このような事が起きない様、問題点を明確にして、改善していって欲しいものですね。