パンと水 | 米の心

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西洋のパンは日本のものよりハード系のパンが多いそうです。西洋人は日本より唾液の分泌量が多いらしく、ハード系のパンでも大丈夫なのだとか。一歩上日本はパンでも柔らかいものを求める傾向というのはありますね。

それぞれの国にそれぞれの文化というのがありますが、人種的なものだけではなk、そこの文化の形成には水との関わり方というのは非常に大きな要因となっているかと思います。日本の場合は世界でも屈指の水に困らない国であり、水というのは生活の至る所で使われたりしますね。水田のような使い方にしろ水が豊富な地域だからこそできるのであり、他の国で稲を作るのにどこも水田を利用しているというわけではありません。

日本の場合その水に関しても基本的には軟水であるというのは大きな特徴の一つです。

水が軟水か硬水かというのは生活ベースで考えると様々なところに影響が出るかと思います。

例えば、軟水の方が基本的には柔らかく、その分、しみやすい傾向があるため、料理であったり、あるいは洗濯するにしても、軟水は非常に便利です。欧州人の文化圏で行くと硬水が一般的ですから、洗剤一つとっても日本のものより泡立ちにくくなります。西洋の石鹸や洗剤などは日本のものより強力なものが多いですが、これも性格的な問題もあるのかもしれませんが、生活圏において使われる水の性質というところの影響は大きいのかなという気がします。

今の時代であれば、水不足で困るということはある程度発達した街ではないかもしれません。水道管が張り巡らされており、ダムなどで貯水をし、水を欠かさない生活ができるようになっているからです。

逆にそうではない時というのは、水は貴重でした。日本人は、アルコールに弱いといいますが、これは進化の過程の結果弱くなったとする話があるそうです。

ではなぜ弱くなったのかといえば、日本というところが水が潤沢な地域だったからです。水が潤沢であれば、水分の補給に水を普通に取ればいいというわけです。

一方で、新鮮な水を仕入れることが難しい地域では、保存がきき、キチンの飲めるものとしてアルコールは重要だったと言えます。果実などを発酵させることで簡単に作ることができ、かつ保存がきく飲み物だからです。

大陸の場合、どうしてもどこでも水が豊富にあるというわけではなく、そのため、アルコールと油の文化というのが日本よりより発達する環境にあったといえるのかもしれません。

さて、各国がそれぞれに文化を形成していく中で、そこにはマナーというものが存在します。

マナーにうるさい人に対していい印象がない人もいるかもしれません。最近のマナーと言われているものはちょっとどうなのかと思うものもあるのは確かです。ただ、一方でマナーというのは、その文化を形成していく中で合理的なものだったからマナーになったという側面もあります。

例えば、フレンチやイタリアンなどでは、皿に余ったソースなどをパンで拭うという行為がされます。

これは、美味しかったからソースまで残さず食べるというのは相手への気持ちの表れとも言われたりしますが、冷静に考えて、その行為って果たしてマナーがいいものなのかという話は出てもおかしくないはずです。

しかし、それは西洋では一般的にマナーが悪いとされる行為とされてはいません。

では、なぜか。

一つには、パンを食べるためには、必要な行為の延長上だからというのはあるかと思います。

冒頭で西洋ではハード系のパンが多いという話も出ましたが、パンは保存食としての側面も歴史的に見ればありました。保存し、水分が抜けている分硬いというわけです。

硬いパンを柔らかくして食べるにはどうすればいいか、それがディップするという行為ですね。西洋人がパンをそのまま食べるのではなく、スープものなどにディップして食べるというのはよく見る後継だと思います。そうすることによってパンを美味しく食べやすくする行為というわけです。よって、パンを柔らかくする行為としてそれは一般的な行為なわけです。

日本でやると行儀が悪いという声も上がるかもしれませんが、日本の場合はパンは後から入ってきた文化であり、パンを保存食として活用するという人はそれほど多くないかもしれません。またソフト系のパンが多い日本だと、スープなどに浸すとそのままパンが崩れてしまうこともあります。パンに求められているものが文化的に異なるというわけです。

さて、そんなパンですが、西洋では様々な使われ方します。

例えば、木炭デッサンなどの場合パンは消しゴムがわりに活用されたりしますね。パンは一種綺麗にするために拭うものとしての役割があるというわけです。

そうして考えると、ソースをパンで拭うという行為もその側面があると言えます。

皿を綺麗にパンで拭うことによって洗い物を楽にできるわけです。

もともと水は貴重なものでしたし、硬水である文化圏であるために、油汚れとかは落ちにくかったはずです。ではどうすればいいか、なるべくソースであれなんであれ残さなければ、限られた中でも洗い物を効率的に済ませれるわけです。

日本料理とかだとそもそも油をそこまで豊富に使いませんから、水で軽くさっと洗い流すとかで済むものも、油を多く使う文化圏ではそうはいかないわけです。

だからこそ、パンで皿を綺麗にしてしまえば、あとは、レモンなどの柑橘の皮で拭えば、皿は綺麗な状態になるというわけです。柑橘は油を落とす効果があり、洗剤などにも使われたりしますが、皿がソースまみれであれば柑橘で洗い流すのも一苦労します。そこがパンで綺麗に拭われていたらどうでしょうかというわけです。

こうして考えるとパンを使うというのは、その文化における合理的な選択肢と言えます。

どのご家庭でも洗剤も水も豊富にある今の時代ではなく、歴史的に見ればそこを節約しながら使うということが必要だからこそのパンなのです。

西洋人にとってパンというのはその意味では文化的に欠かせないものだったと言えるのかもしれません。

日本でもパン好きというのは増えてきていますが、やはりパンに求めるものというのが歴史的に見て違うところはあるのではないでしょうか。

パンや水それぞれを見ても、日本と大陸文化というところの違いが見られるというのは面白い気がしますね。