飲食店バブルの背景 | 米の心

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飲食店の値上げが続いていますね。身近な食材などでも安く仕入れることが難しくなってきているので値上げは仕方がないところはありますが、飲食業界について改めて考えてみたいと思っています。

原材料の高騰といいますが、その理由は様々だったりします。ロシアのウクライナ侵攻の影響であったり、鳥インフルエンザの影響であったり、コロナの影響であったり。値上げは続いていますが、今後として考えた時には、今後は2024年問題というのは少なからず発生するでしょうから、そこでの運送コストのアップというのは値段に反映されることになるかもしれません。

ただ、23年問題というものに関しては、ある種の物流について見直そうという話にもなるかと思います。これは、飲食業に限らずですね。

物流コストを下げるためにはどうすればいいのか、様々な答えがあるかと思いますが、最も簡単な意見で言えば、物を多く、遠くに運ぶことをやめればいいということになります。

つまりどういうことになるか、といえば、もっと原始的に地産地消が行われるようになれば、そもそも物流コストを低くすることが可能になるわけです。鹿児島で作られたものを東京で消費するよりは、九州内で消費した方が、鹿児島内で消費した方が、コストを低くすることができます。

地産地消という言葉には個人的には、予てから色々と思うことがあったのですが、その中の一つに、その区切りをどこに置くかという点ですね。

例えば、同じ県内で言えばいいのか、実際に同じ県内でも道路が発達しているところで近くであれば、それは物流的コストも時間も低く抑えることができますが、遠く離れていて、道も発達していないようなところであれば、下手すれば東京に運んだ方が時間的にもかからないということもあります。その意味で言えば地産地消と簡単にいうものの物流的コスト、時間的コストなどを含めた上で地産地消に適切な範囲というのは決まるべきなのかなと思っています。

なので、県内だからみたいなので地産地消といわれても、それは本当に地産地消なのかなとも思ったりします。北海道なんて広いところだと、道内でいくつかの都道府県が入ってしまうようなサイズです。そこで端から端までつかって地産地消と言われても違和感があるでしょう。

24年問題は、労働規制によるものですが、それによってある種本当の意味で物流を見直し、地産地消にあったサイズを考える機会になるかもしれません。

ちなみに、話を脱線させると、24年問題は様々なところで大きな問題となる可能性がありますが、何気に大きな問題として起こり得そうな話としてあるのは、ふるさと納税じゃないのかなという気がします。

ふるさと納税は、基本自分のが納税する義務があるところではないところを応援しようという試みであり、そこに謝礼品が発生するということなので、物流への負荷が高いものとなっています。以前にも記事にしましたが、ふるさと納税については細かく規定が決まっていて、ふるさと納税の納税額に対して、謝礼品は何%である必要があるか、だけではなく、トータルコストを納税額の何割に収めるのような規定もあります。

となると、24年問題で運送費が上がる中、ふるさと納税をしようとすると、謝礼品のランクを下げる、還元率が減るなんて動きにもなるはずですが、実際にそれではお金が集まらないということで、守らないところなども出てくる可能性はありそうですね。

前述の納税額の何割かまでに運送コストなども含めた全ての費用を抑える必要があるというのは、そもそも地方、東京から遠ければ遠いほど、運送コストが高くなるということでは、地方の方こそそれを欲しているにも関わらず不平等さが生まれる構造になっています。

この辺りが、24年問題の中でどのように展開されていくのかというのは少し気になるところです。

閑話休題。

さて、様々な要因で、飲食店については、食材の値上がりなどがあり、あるいは、電気代などの値上がりなどもあり、それを価格に反映せざる得ないという話にもなっているのですが、個人的にはもう一つ大きな問題としてあるのは、単純に飲食店が多すぎで、競合過多状態であるというのが大きいのかなと思っています。

それも今まで競合状態にならないところとも競合状態になることによって、より需要供給バランスが崩れ、今までよりはるかに高い値付けをされるようになっているものなども生まれているというのが正直なところあるかと思います。

例えば、この時期に例に出しやすいのが、花山椒。毎年のように今年は高い今年は高いと言われていますが、かつては、花山椒をふんだんに使うお店なんていうのは稀でした。それも和食のお店に限定だったかと思われます。

それを他の和食のお店も使うようになり、お寿司屋さんも使うようになり、和食以外のジャンルの人も使うようになってくるというのであれば、今までの供給量では足らなくなるのは当然の話です。となると当然高騰します。需要が急に上がったとしても、作り手、生産農家がそれにすぐに対応できるわけではありません。また、そもそも農家のなり手がいないと言われる中ではなおのことです。

かといって、その人気高騰がいつまで続くかもわかりません。植物が育ち、生産体制を整えた時により人気であればその勝負は勝ったとも言えるのかもしれませんが、リスクのある選択なのです。

そもそも、農家はリスクのある選択を常にし続けています。今ではあちらこちらで作られるようになったシャインマスカットについても、農家の間でシャインマスカットを作ろうという流れ、それがこれからくるという話があり、それが今実っているにすぎません。シャインマスカットではない品種に手を出した人もいたかもしれません。そちらの場合は、シャインマスカットほどに利益を得ることができていない可能性があります。

植物が育ち、収穫するためには、数年以上の月日が必要となるものが多く、そこは特に果樹などにおいては先見の明をもって行動する必要があり、また、それがゆえに一種に頼るのは怖いので、品種を複数、季節を徐々にずらしながら収益が出るようにするのが一般的です。

となると、急に準備をすることはできないわけです。(山椒はミカン科)

また、今や名店の系譜というもどんどん広がりつつあります。東京などであれば、京味の流れのお店というのは、すでに孫弟子がお店をもつということも増えてきました。

名店の系譜は、その名店の良さを引き継ぎながら自分の個性を生かす必要があります。となると、当然仕入れについてもある程度は前にいたお店のものを引き継ぐようになります。当然店が増えれば増えるほどにそこでも需要過多が発生するようになるわけです。

京味は西さんが亡くなられて、お店をたたみましたが、今はお弟子さん、孫弟子さんのお店が人気になっています。

その他にも、吉兆で修行をされた方が、招福楼で修行された方がとどんどんお店を持つようになります。

最近は、オーナーが別にいるケースもあるので、若くしてお店を持つケースも増えてきました。お寿司屋さんなどはその典型であり、有名店に一時期いて肩書きを持ってデビューをし、人気店、予約困難店になるようなストーリーをすでに作っているケースもしばしばあります。元のお店が簡単に予約できないところだからこそ、お弟子さんのお店なら今のうちならまだ入れるということで人気になってしまうわけです。

フレンチなどでみても、今だにコートドールのシェフが現役であるなど、長く活躍される方も多いわけです。北島亭然りですね。

となると、名店がずっと継続しているのに、そこのお弟子さんや、そこから影響を受けた人、それに海外でキャリアを積んできた人などがお店を開いていくわけです。

もちろん、潰れていくお店もゴマンとあります。しかし、その中で人気を勝ち得たところは、人気困難店となり、一度そうなるとなかなかその人気が落ちないというのはしばしば見られるケースです。

となると、当然それだけ人気過多なお店が集中するわけですから、需要ばかりがますわけです。単純に供給量が減るケースもありますが、それ以上に需要が高くなり、それが今まで例えば和食でしか使われなかったような食材が他のフレンチやイタリアン、中華などでも使われるようになる、当然いいものを欲しがるというのであれば、高騰するのは自然の摂理とも言えます。

そういう状態にしているのは、飲食店ばかりが悪いのではありません。当然阿呆みたいに花山椒をヨイショしてお店をヨイショする消費者、お客さんがいるからそうなるのです。つまりは、物の値段を歪ませているのはそれを消費しているお客さんそのものということになります。

よって、その客がまた値上がり?と思うのはナンセンスな話なわけです。いかなければいいだけの話であり、そうするとお店の数も適正になり、お店の数が適正になれば、それとともに食材の値段も落ち着くからです。つまりは、バブルはバブルが起こる構造がゆえに起きているという事実に過ぎない側面もあると言えます。

もちろん、需要だけではなく、単純に希少性が高まっているものもあるので、これは一概に言える話ではありません。

ただ、値上がりについて、文句を言う前になぜそうなっているのか、自分の行動もまた改め、見直す必要もあるのではないでしょうか。