ジョコビッチがワクチンの非接種を宣言した様ですね。ワクチンの非接種を宣言する選手というのは別に珍しい話ではありません。例えばNBAのカイリー・アービングなどは接種できない人の事も考えて自分の意志で接種しないと発言しています。
ワクチンを接種するかどうかというのは個々の医師が尊重されることであり、この点についてジョコビッチはその意志を尊重されるべきというのは当然能古とだと言えます。
一方で、ジョコビッチはテニスプレイヤーであり、ワールドツアーをする存在ですから、その意味で言えばこの事からくる不具合というのはジョコビッチにあるかも知れません。
全豪で出場が認められなかった様に他の大会への出場も認められない可能性というのは十分にありそうですね。
それはそれぞれの国等が規定する事であり、その規定に対して、個人の意志だから、自由だからという話が認められる話ばかりではないからです。
その国に入っていいかどうかなどを決めるのは国側であり、その国の取り決めが国際的に不当であると判断されない限りそこに対して個人でどうこうできるという事は限られていると言えます。
その意味で言えば、しばらくの間ジョコビッチについてはワールドツアーをする上で出場が出来ないなどのデメリットはしばらくあるかもしれません。豪州については、判決が覆される事がなければ、来年の出場もあるいは厳しいかもしれません。
ただそれはテニスより自分の意志を尊重したということに過ぎないだけだからです。
とはいえ、現在の取組みというのが長期的に継続される取組みになるかというのはまた別の話とも言えます。
デンマークなどではコロナの規制が緩和されていますし、今後世界的な動きとしてみると緩和に動いていく可能性というのは高いかと個人的には見ます。
そもそもが全員が感染している、一定数以上がワクチンを打っているというのが前提の世界になってしまえば、ワクチンパスポートなどで制限をするより経済を回した方が遥かに有効となる可能性の方が高いからです。
全豪についていえば、ジョコビッチはその入国で正しく書類を提出できなかったというのはありましたが、個人的には時期が別であればそれですら出場できた可能性というのはある程度あったのではないかと考えています。
全豪はオミクロンが世界中で流行しているタイミングでした。そしてそれによって国によっては規制を厳しくしていた時期でもあります。
日本でも、反対に昨年10月末ころでいえば規制を全体的に緩和しようとする動きが強かったりしました。そのときは感染者数が激減していたからです。結局のところ規制するに至るだけの理由があるかという話にすぎません。
よって、今年の大会においても今後のコロナの流行具合によっては規制をより緩和する国は増えていくだろうと思われますし、来年以降ともなればそれは加速していくものと思われます。
より活発に貿易が出来る状態、人が行き来できる状態の国の方が有利になり得るからです。
そう考えるとワクチンパスポートなどのあり方もその時々に合わせて変わっていくものと思われます。少なくとも出国前に陰性であればokとかそのレベルになる国は増えるのではないでしょうか。自然、そうするとワクチンを打つ事のメリットは減っていきます。
コロナが活発な状態であればワクチンを打っていても定期的な陰性証明は必要になるでしょうし、また、PCR検査などはもはやどの国でも簡単に受けられる体勢になりつつあり、その意味ではPCRを受ける事そのものの難易度も下がって来たと言えます。
となると、余計ワクチンを打ちたくないという誰かにとってはワクチンを打つメリットというのは少なくなるといえます。(ワクチンを打つと重症化リスクが下がると言われていますが、まぁそれは今までも同じことであり、その中で今まで打たなかった人が打つ積極的な理由にはならないでしょう。あくまで今まで打って来た人がどう判断するかという話になります。)
さて、そう考えると、来年の全豪はともかくとしてジョコビッチが本当にワールドツアーで出場についてこまるというのはせいぜい今年いっぱいどれだけあるかというくらいの話にもなりそうですね。
それが、数年先までずっとということは少なくともないと見ます。
ジョコビッチは過去にも一時期テニスから離れていた時期もありますし、年齢を加味に、体調をコントロールするなどを考えても、ワールドツアーで毎年飛び回るということ以外の選択肢が出来る選手でもあります。
また、それだけ今まで稼いで来ている選手でもあるので、多少そのような時期が合ってもその事が大きく影響する事はないでしょう。前述の様に過去にテニスから離れた時期があっても完全復活をした様なスーパースターではあるわけですから。
もちろん、同じ様な選択肢が他のテニスプレイヤーでも出来るかは分かりません。世界ランクで低い立場の人がそれで生活をすることを前提にすれば試合に出て、結果を出すという事は求められるからです。
ただ、ジョコビッチという立場で考えたとするならば、この選択肢というのは当然ありうるものとも言えるのかも知れません。