料理屋のおせちの話 | 米の心

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年末ということでおせちの話を少し。10月くらいからお料理屋さんなどでもおせちの受付を開始するところなどはよく見かけますね。和菓子などをやっているところであれば年末にお餅などを取り扱っているところもあったりします。

お料理屋さんのおせちは、結構いい値段のところが少なくなく、なんだかんだお店で食べるのと変わらないくらいの設定であることというのは珍しくありません。私なんかはおせちを美味しいものと思っていないので、その値段でおせちを食べるのであればお店で食べたいのであまりおせちを注文することはありません。

しかし、高い高いという印象のおせちですが、お店側からして儲かるかといえばはっきり言えばそういう話ではなかったりします。むしろ普段の料理の方がよほど利益率は高いと言えます。

普段の料理は、まぁお店によりけりですが、飲食店は利益率として3割前後くらいを目指すことが多いです。原価や人件費などを差し引いて3割くらいが利益となるわけです。これが個人経営などであれば、自分の分の人件費の形状が曖昧だったりで、いわゆるコスパのいいお店ともなることが少なくないですね。

その値段設定ができるのは年間を通じて仲買さんなどから購入する原価というのがある程度想定されているからともいうことができます。

今年なんかで言えば、秋に台風が多く訪れた影響で、漁に出られず、お魚の仕入れが高かったり、平均気温がなかなか下がらなかったために松茸もあまり出ず普段以上に高い値段で取引されたと言います。

ある程度高級店になれば料理のお値段が季節のものを取り扱うために時価というところは少なくありません。

しかし、実際のところ時価といえども原価をそのまま反映させるのは難しかったりします。普段1万円で食べられるところが、食材が高くなったからといって3万円で提供とはなかなかならないのです。それこそ松茸を使いますなどの説得材料があればともかく、そうでない場合は、食材の値上がりを理由に時価だから値段に反映させるというのは限界があります。

よって、食材が高くなると値段に反映できないため、利益率が低下し、そのまま値段が戻らないようであれば、原価の上昇を理由に価格改定をするというお店は少なくありません。高級なお店だと、店の水準をこの段階であげて、食材もより高級なグレードにするために値段も一気にあげるというお店も結構みられたりしますね。

さて、ではおせちを取り扱うお店というのは、当然におせちの値段というのは事前に設定されたものであるケースが多いです。10月から受付開始していて、おせちを引き取りに来る時まで時価なので値段わかりませんとしているところはあんまり記憶にないです。

一方、ご家庭でもおせちをつくったり、年末年始に買い物に行くこともあるとあると思いますが、普段とは比べものにならないほどに値段が上がっていることを感じる人も多いのではないでしょうか?

これは、スーパーマーケットなどが値上げをしているだけではなく、当然仕入れが値上がりしているからといえます。

年末年始供給側が休む一方で、休む前にある供給量には限界があります。それに対して、需要としてはおせちで利用するのもそうですが、その供給側が休んでいる間常にあり続けるわけですから自然と需要と供給のバランスが普段から崩れ、値上がりにつながるというわけです。

卸の段階から高いわけですから、それは当然おせちを取り扱う飲食店にも直結する形となります。つまり原価が普段とはあり得ない状態ほどに高い中でおせちを作る必要があると言えます。

一方で、普段より手間がかからないかと言えばそうではありません。

下処理はきちんとする必要がありますし、むしろお客さんにその場で提供できるわけではないので普段必要のない心遣いが必要となります。

注文そのものはおせちとして利用し、その引き取り時期というのは決まっているわけですあkら、そのタイミングに合わせて料理をする必要があります。普段であれば、1日8人や10人しか対応しないで済むお店も、その段階となれば何十、何百食と用意する必要があるかもしれません。

当然調理場はそれに見合うサイズになっているとは限らないですし、それだけの仕事をこなすための人手が足りないところなどもあったりします。かつての弟子であったり弟弟子などがいる場所だったら年末のおせちの時には手伝いに来てもらうなんて話も聞きます。つまり、一人では回し切ることができないほどの労力がそこにはかかるということです。

普段であれば、一人で切り盛りし、また、原価も利益を見積もった中での設定できる仕事が、供給側の供給量が閉ざされ、時期が集中し、労力、場所ともにない状態でやることによってとても手が回らず、利益を確保するというよりは、むしろ普段使ってくれているお客さんへのボランティア的な側面も見られる話となるわけですね。

何年前だったか、グルーポンによるおせち詐欺とも騒がれた事件を覚えている人はいらっしゃるでしょうか?

あの事件を改めて考えた場合、おせちをお得な値段でクーポンで安くして提供するというのは単純に無理があったのだなと思います。

普段でさえなかなか利益につなげるのが難しい中で、原価が高くお得感で注文が集中した場合、どうしても人手、食材などが足らず、疲労の中でいつものパフォーマンスではないものを提供する形になってしまったというのは考えられなくはない話です。

まぁ私自身は正直おせちという食べ物をあまり評価していないので、(そもそもめ保存食ですし味付けがそのまま食べて美味しいとなっているかは別なわけです。)また、そこまでお店側も大変な思いをしているのであれば、わざわざ続けるべき文化なのかというのは疑問があったりします。

それでいつものクオリティが出ないのであれば、双方にとっていい話ではありません。

そもそも今の若い人がおせちを喜ぶかも疑わしい話ですし。

お料理屋さんのおせちというとどこか高いものの印象がありますが、現状として提供する側からのアプローチを考えると、むしろお店側の誠意、普段の感謝の現れであるという側面もあることは考えるべきかもしれません。(もちろん全てのお店がそうとはいいませんが。)