ハナちゃん、ベランダで昼寝の季節です。先日彼女がここに居ることに気づかず、
夜になってからドアを開けたら毛皮がすっかり冷たくなっておりました。
気の毒な事をしたものです。
三十年来の友人です。いや、もっとかな?子供達が保育園に通った頃からですから。
関東出身ですが生粋の京都人と結婚した彼女は変なイントネーションの関西弁。
第一印象は「キレイで気の強そうな人」。歯に衣着せぬ物言いです。
攻撃的と言うのではなく、あっけらかん、さばさばといった感じ。
どの辺りの波長が合ったのか、
保育園に数多くいた保護者の中で今でもお付き合いがあるのは彼女ひとり。
彼女もニュージーランドを訪ねてくれ、私も京都に行けば泊めても頂ける仲。
「何処にいるの?」と車を飛ばして迎えにきてくれるのが涙がでる程有難い。
さて......。「キレイをドブに捨てる」とは余りにも過激な表現です。
が、私がこんな表現を使ってでも言いたかったのは
彼女が自分の「キレイ」にどれほど価値を置いていなかったかという事。
私が彼女に抱く尊敬の念はそこに根っこがあるような気すらするのです。
子供達の通う保育園は公立で、入所条件は両親共働き。片親でも「働く」親であること。
ですからどの親御さんもそれはそれは忙しい。自分の事なんか構っちゃいられない。
高校教員の彼女は朝8時に子供を保育園に送り、夕方5時半に迎える日々。
それから買い物、夕食準備、掃除、洗濯、学校の残務、お風呂と明日の準備。
私は彼女が口紅を差しているのを見た事がない。それは今に至っても同じ。
着るものは動きやすいのが第一。ブランド物など興味がないどころか「それ、何?」。
いや、お金がないなどとんでもない、旦那様と二人揃って教員なんですから。
お家も立派な持ち家です。旦那様の御父上は「画家」。
キレイを磨くつもりになればどこまでも行けたはず。
整った輪郭に切れ長でまつげの濃い目元、形の良い口元とすっと通った鼻筋。
上背もあってスレンダーなら下地に全く不足はないはずです。
それなのに彼女にとってキレイに使う神経、労力、時間は無駄以外の何物でもない。
彼女はよく働く女性ですが、料理も上手い。手際も見事です。
驚いたのはアイロンがけの必要なもの以外の洗濯物をたたまない事。
仕分けが終わったらタンスの引き出しに放り込むだけ。「必要ない」のだそうで。
徹底したリアリストなのですよ。
その彼女の現在は、旦那様の年老いた母親の面倒を実に細やかに見ています。
お腹を痛めた娘でもなかなかできない程の温かみ、情を感じます。
彼女の「キレイ」は顧みられる事も無く、とうの昔に流れ流れて
今は誰も知らない海の上でお日様を浴びているのでは......と思うのです。
