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開いているページは「悲愴」。

 

 

で、「ピアノ教えます」に連絡、週に一度彼(香港から来た学生さん、ね)に教えてもらう事になった。

なにせ赤いバイエルを終えないで何十年も経っているわけだから、冗談抜きでドレミから。

年寄りの冷や水とはよくいったもので、指がまるで動かない。気ばかりあせる。

「継続は力」、この一言に縋るしかない。が、練習曲はつまらない。つまらないがやるっきゃない。

そして一年余り経ったころ。

 

「ベートーベンの月光が弾きたい!」 「んな、無茶な。まだ早いって。もっと段階踏まないと、ね」。

「いや、どうしても弾く」。「えーっ!楽譜よめないでしょ?そんな人に僕どう教えたらいいの?」。

「難しいところは全部楽譜に書き込みするもん!今挑戦しないと私年寄りだから時間ないもん!」

「ううう.....。じゃあ、まず右手と左手、片方ずつ練習してみようか。それしかないなあ」。

と言う事で、コピーした楽譜になんでもかんでも書き込む。私が理解できればそれでいい。

 

変ちくりんな楽譜を使い、四苦八苦、半年かかって何とか最後まで弾き通すだけはできるように。

なのに、その少し後から私はもう「ピアノ教えます」に通わなくなってしまったんだなあ。

長年の憧れ、「月光」の弾き方だけは分かるようになったつもりが一番の原因。

自分を「年寄り」だとは認めつつ、それでもまだ残り時間はたっぷりあるとどこかで思っていた。

 

そのピアノを数か月前から又弾き始めた。前回放り出してから5、6年は経つ。

指はますます動かない。その上自分の指が「へバーデン結節」という変形を起こしている事も分かった。

けれども今度はピアノを投げ出す事はないとも分かっている。「弾ける」限りは。

決意とか情熱とかそんなものではなくて、ただただ楽しい冥途の土産なのだもの。

 

お金や財産はどれだけあっても持っては死ねない。

美貌は(あったとして)焼いてしまえばただの灰。

持って死ねるのは思い出と経験、そして後悔と満足だけ。

あの世にピアノがあったらいいな、とは思う。

でももし無かったとしても......。

私が灰になった時、そこに立ち会ってくれる人がいたとして、

あれもこれもが全部この灰の中にあるんだなと思ってくれたら幸せだ。

いろいろと冥途の土産を持って行ったよな、とも。

そんな光景を想像して美しいなあ、と思うのだ。