足りない理由 | けこですのブログ

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小樽駅。駅ホールの窓に吊るされ沢山のランプ。何よりも電車を降りたホームに驚かされた。
50年前、母に手を引かれて蒸気機関車を待ったその時の光景そのもの。
弁当売りの声が聞こえて来そうだった。
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スタートからゴールまで、あり得ないような大失敗の連続。
オークランドの我が家から京都のウィークリーマンションまで36時間。
父の健康保険、歯医者、留守中の用意を数日で整えてすぐ旅に出た。
すでにその時点で私の日常生活遂行能力は払底していたのだ…と思いたい。

が、それにしても酷すぎる。パスポート、レイルウェイパス、財布、スマートフォン。
全ての重要な持ち物を一通り、置き忘れるか紛失するかの毎日。
その上帰りの飛行機の予約を「わや」にする、という大失態もしでかした。
こんな人間の旅の道連れはわが娘、もしくは「人生の相棒」とも言える友人にしか務まらない。

それはさて置き(さて置ける限度は超えていたが)、今度の旅で自分に驚いた事がもう一つある。
何も欲しくない。全てが「足り」ているので欲しい、買いたいの衝動が全く起きない。
街を歩き、新しく、華やかで、洒落た物に囲まれても興味すら湧かない。
結局購入したのは台所洗剤の容器一つと耐久性のありそうな黒い化繊の手提げ袋のみ。

それで考えた。全ては「足りている」のだ。
我が家に高級家具やブランド品が満ち溢れる、どころか一つも無くとも、「足りている」。
足りていれば足す物はなく、欲しい、が起きない。
街を歩くのはイルミネーションの花畑を歩くのと同様だと気がついた。「綺麗だなあ」である。

昔から不思議に思う事が一つあった。
生活そのものが苦しければお金が欲しいのは当然だ。
少しは楽しみも持ちたいと思えば余裕の金銭も必要だろう。そこまでは理解出来る。
なのに、世の中の「金持ち」と呼ばれる人々の大多数は「もっと欲しい」らしい。

100億あろうが1000億あろうがまだまだ欲しいのは何故だろう。
全てのブランド品を集め尽くしても新作が待ち切れないのは何故だろう。
答えは簡単。「足りない」のだ。
足りないどころか十分過ぎると思うのは他人の考え。本人にとっては「足りない」。

足りないから欲しいのは理の当然だけれど、何処までも足りないのは幸せとは言えない。
手に入れた一瞬の満足のすぐ後に次の足りないが顔を出す。
足りないから精を出し、汗を流し、知恵を絞る。それで済めば良いのだが…。
生きている時間の殆どを自分、他人もろとも「足りない」の犠牲にしては元も子もない。

こういう時、足りないのは金銭や物が足りないのではないのだな、と気がついた。
金銭や物を手に入れる事が「心の不充足」の補完なのだな、と腑に落ちた。
となると、私の充足感もなかなかのもの。洗剤入れと手提げ袋はもう手に入れた事だし。
食べる、寝る、見る、聞く、話すで完結する生活も近い…かも知れない。