心からの宗教心をお持ちの方は幸せかも知れません。
どんな時にも導きがあり、自分の存在を委ねる事ができる、
そういう力を神や仏に感じます。
未来の事はわかりませんが、私には信じる神や仏はありません。
それでも亡くなった方々には哀悼と感謝の気持ちで手を合わせ、
大きな自然の力に畏敬の念を持ち、
生きとし生けるものの魂の存在を感じずにはおれません。
これはある意味日本人の民族性であり、血なのかも知れませんね。
さて、私は一人っ子で母は幼い頃に亡くなり、父は性格的に大変問題のある人でした。
まさか私に罪があった訳ではありません。私はただ生まれてきただけです。
大人になると早々と相手を見つけて結婚しました。これは私の選択です。
二人の子供に恵まれ、考えあって20年前に海外に移住しました。
子供達は成人し、夫と離婚した私は年老いた父と二人きりになろうとしています。
煎じ詰めればそれだけの事ですが、50年以上の月日が流れた訳です。
子供達と過ごした思い出だけは一生の宝物ですが、二度とは通りたくない道のりです。
あらゆる巡り会わせとその時々の自分の選択のおかげで苦しい目に遭いました。
振り返れば、自分の生まれた環境も、置かれた立場も、
自ら招いた苦難も、降りかかった災難も、全ては「天の配剤」と思えてなりません。
世間を知らず、感謝を知らず、思いやりを知らず、努力を知らず、責任を知らず。
知識はなく、礼儀はなく、謙虚な心もなく。
ほとんど「無」であった私は苦痛や悲しみを通して学ぶより他になかったのです。
私に宗教心はありませんが、言葉に例えるならば、
「天は見ておられる」としか言うすべがありません。
私に学ぶべきことがらがあるからこそ、天は私に苦痛や悲しみを与えます。
それは「私のために」天が用意された苦難だったのだと思います。
それでも天は公平です。
生まれながらに重い荷物を背負った人間の足腰は強いのです。
知恵無く失敗を重ねた人間は、知恵のあるものより多くの真実を知ります。
回り道をした人間は到着は遅くとも多くの景色を見ます。
どうか今の自分であって良かったと思って下さい。
あらゆる苦難も喜びも、すべて今のあなたのために用意されたものなのです。
私は宗教は持ちません。しかし、天は見ておられます。
間違いなく。
追記 この世に起こる事は全て理路整然と数学的に見えます。
水は低い方に流れますし、器の容積以上のものは溢れる。
四角は丸には収まらないし、軽ければ漂い、重ければ沈む。
理不尽と感じるのはただ単に、それが自分の感情に逆らうから、
という理由に過ぎないのではないかと思えるのです。
自然の摂理、宇宙の法則を「天」と見るならば、
風が吹いて桶屋が儲かるのも、惑星直列も天のしわざ。
天は法則に則って、実に面白い稀有なものも見せてくれますね。
それらを偶然、奇跡、天の配剤、何と呼ぼうと、
その中で生き、小さな英知を育てて行くのが私達、という事らしいです。
