5月にウズベキスタンへ行く予習に「モンゴル帝国と長いその後」を再読している。最初に読んだ2008年にはわからなかったことが、何度もモンゴルを訪れていくうちにわかってきた。

 

たとえば以下のように書かれている部分。

「カァン」は全モンゴルの帝王のみ(ちなみにクビライ以後は大元ウルス皇帝たる人物にかぎられる)、かたや「カン」は西北ユーラシアのジョチ・ウルス、中央アジアのチャガタイ・ウルス、イラン中東方面のフレグ・ウルスの、それぞれ歴代君主の三人だけに限られた。」

最初にこの文を読んだ時はぜんぜんピンっとこなかった。

ウランバートルの博物館で学芸員さんに、モンゴル文字でどう表記されているかを書いてもらった時、まさに目からウロコが落ちるようだった※その時のブログにリンクします

 

上のリンクで見られる「安堵状」では20世紀初頭にボグド・ハーン(カァン)が支配地域の小君主をハン(カン)と呼んでいる。時代を経るうちに「カァン」「カン」という言葉は意味を広めていった。日本では中国が当て字した「藩」や「汗」からカタカナ化したので本来の意味の違いはわからなくなっている。

 

ウズベキスタンの英雄ティムールは、この本の中で「婿殿たちのユーラシア」という項目で登場する。チンギス・ハーンの次男チャガタイの血をひくチャガタイ・ハン国の君主カザンの娘サライ・ムルク・ハーヌムを妃にしたから。

 

ティムールの発音はモンゴル語では「テムル」になる。

ティムールの祖先はチンギス・ハーンの五代前のトンビナイという人物から分かれていると伝説的に伝わっているので、ティムール本人もチンギス・ハーンとおなじルーツを持っていると言えなくもない。

 

チンギス・ハーンの血をひいているかどうかは、人々を統治する立場につくための重要な要件だったのだ。

いや、現代のモンゴルでさえもそうなのだと知って驚いた。※これについては別に