来訪を歓迎してくれているような虹だった。

ウルジートグトフさんが縁もゆかりもない日本人抑留者のための「さくら記念館」をつくったのは2022年。今回の旅でどうしても訪れていただきたい、会っていただきたい人だ

と思った。※日本の大使が開館に訪れた記事にリンクします

 

展示ゲルに「50」と書かれているのは50周年の意味。日本とモンゴルが正式に国交を結んだのが1972年。日本が占領から解放されたサンフランシスコ講和の後二十年も正式に国交を結べていなかったのである。

今はボートの浮かぶちいさな遊園地になっているが↑ここは日本人抑留者が強制労働させられていた場所。ウルジートグトフさんがやってきた2009年にはゴミ捨て場になっていた↓2010年の写真に驚く↓

ウルジートグトフさんはウランバートル生まれではない。ウランバートルから北西に400kmほど離れたエルデネトという街の出身。20代だった2000年にウランバートルに出て五年間親戚の家に住んだ。民主化後十数年、経済格差がひろがりはじめていた。2005年に韓国の釜山に出稼ぎに行った。

NHKのテレビを見て「日本は韓国よりすすんでいるらしい、どんなところだろう」と興味を持ったが、行くことはできなかった。

 

2009年モンゴルに帰国。

この土地をみつけて住みついた。当時は今よりずっと郊外で、出稼ぎで稼いだお金で家を建てることもできた。家の下にみえるゴミ溜めをなんとかしたい。出稼ぎで習得した重機の運転技術をつかって、ひとりで片付けはじめた。

平行して、自分が手に入れた土地の歴史をしらべはじめた。

 

すると、第二次大戦後、日本人抑留者が強制労働で敷石の切り出しをさせられていた場所だったことに気付いた。国立文書館に通い、当時の記録と写真を入手した。

「さくら記念館」にはそういった写真が展示してある。

 

ゴミ溜めを整備し、記念館をつくるだめに、ウルジートグトフさんは建てた家を抵当に入れてお金を借りた。なんの立場も実績もない個人がお金を捻出するにはその方法しかなかった。縁もゆかりもなかった日本人抑留者の記憶を留めるために、自分の信じることを続けておられる。

丘の上から、ウランバートル中心部のビル街が見える。

発展から取り残された、いわゆる「ゲル地区」に住む人々はウランバートル人口の四割に達するのだそうだ。

 

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