奈良興福寺の瓦の先っぽを硯にしていたのか↓

↓古代中国のレンガも!

↑研究者だったら、こういう「破壊」と批判されそうなことはできない。

↓後ろの毘沙門天と前の弁天は別のモノだったように見える↓

 

↑それを合体させて緑色てかてかの台座をあつらえた❓

↑文化財保護を言うだけの人にはできない遊び(^^

 

松浦武四郎のコレクションの展覧会の後期を訪れた。

※前期のブログにリンクします

 

松浦武四郎は自らを「馬角斎」と称した。

↓勝海舟にその名前を書いてもらったコレクション箱もある↓

↑「馬角」は、「馬に角が生えるように在りえないこと」を意味したと解説されているが、同時に「バカくさい」という自嘲も込められているにちがいない。自分が全身全霊をかけている仕事でも、外側からみたら「バカくさい」かもしれないのだという、世間一般の視点もちゃんと持っていた人なのだろう。

 

コレクションには学術的な統一感がない。

↑エジプトの墓から見つかるウシャブティが西行法師のとなりに並んでいるのだから↑

こういうモノを集めるのが好きな人は、自分の死期を予見した時どう行動するのだろう。

松浦征四郎は69才で脚力が弱ったのを自覚し、

晩年を過ごすたった一畳の部屋をつくらせた。

材料に、これまで訪れた様々な場所の木材を送ってもらった。

それは京都北野天満宮、奈良法隆寺、広島厳島神社、島根出雲大社、福岡太宰府天満宮、など90に及ぶ。

「自分が死んだらこれらの木材で火葬にすること」と言っていたそうだが

幸い実行されず、実物が今も国際基督教大学に保管されている。

※国際基督教大学のHPにリンクします

 

武四郎は71歳で没したから、「一畳敷」ですごしたのは一年ほどだっただろう。