松浦武四郎を、「北海道」の命名者としか認識していなかった。

古今のこれだけの文物を収集し、自分自身が「美術品」のプロデューサーにもなっていたのか。

↓自分自身を釈迦にした「武四郎涅槃図」は収集した好きなものに囲まれて眠っている↓

↑緋毛氈の上に並べられた収集物↑河鍋暁斎は物に合わせてその筆致を変えて描いている↓これらの物の実物がそばに展示してあった↓物と絵を見比べると画鬼とよばれた暁斎の画力がさらに感じられた。

↑「武四郎涅槃図」で、武四郎の足に触れて泣いている女性が妻のとう。武四郎42歳の時に十歳下の彼女の方が積極的になり二人とも再婚だった。一人娘一志(いし)を授かるが十歳で他界。

 

★今回の展覧会では、河鍋暁斎が資産家から依頼されて描いた、十四歳で没した娘があの世を楽しそうに巡る長編の絵も展示されている。

「地獄極楽巡り図」は極彩色↓

※東京新聞のHPにリンクします

 

松浦武四郎は学者ではなく収集家なので、

集めた古代の勾玉を自分好みに組み合わせた袈裟をつくっていた↓↑「涅槃図」でも首からかけている↑

↑発掘された縄文時代?の勾玉を勝手にこんな風にしてよいのか?

良いのです(^^)

「文化財」としてただ収蔵してしまうよりも、こうして新しい視点で再利用するほうが物がいかされている。

学者にはできないことだろうなぁ。

↑「涅槃図」で腰からさがっている「火の用心袋」のホンモノも展示されていた↓

 

「涅槃図」の中で↓松にかかっているカラフルな袋

↑この袋の中に入れていた古代の勾玉も展示されていた↓

↑古代の勾玉のなかでも↑色といい大きさといいこんな豪華な勾玉首飾りは見たことがない

↑これを首からかけて邪馬台国の王様みたいな気分だったのかしらん、武四郎。

 

↓日本で製作された現存最古の洋傘も↓武四郎のつくらせた一品モノ↓

60代後半になった武四郎に、友人たちが寄せ書きした文や絵が張りつけられている↑

「生涯最後の旅」として何度も訪れた大台ケ原の旅に持参していたのだそうな。

松浦武四郎は満70歳で没する。

「武四郎涅槃」は完成まで六年かかったが、幸い武四郎が69歳の時に完成したのだそうだ。

 

この展覧会、もう一度行こうかしらん。