豚肉そっくりの石だから価値があるのではない。

※故宮博物院HPの3D鑑賞ページにリンクします

もともと似ていた石に毛穴を彫り彩色した、工芸品としての出来映えも見るべきものではあるが、重要なのは誰がどんな目的で所有していたかにある。

 

「乾隆帝の父帝(雍正帝)が寝室に置き、

『赤壁のような悲惨な戦をおこしてはならぬ』と自己を戒めていたとされています」

信頼するガイドさんに解説されて、まったく別物に見えてきた。

↑注目すべきは台座が長江に逆巻く波のカタチにつくられていること↑豚肉ではなく赤い崖にみえてくる。

★赤壁の戦いは三国志のクライマックス。

西暦208年に長江で実際に起きた、

呉の孫権と蜀の劉備が連合して魏の曹操に勝利した戦い。

 

孔明が祈って東南の風を吹かせたことによって火計が成功したとされる。

六百年後の唐の詩人杜牧が読んだ「赤壁」
折戟沈沙鐵未銷
自將磨洗認前朝
東風不与周郎便
銅雀春深鎖二喬

※「古典の朗読」のページにリンクします

その二百年後の宋の詩人蘇軾も「赤壁賦」をのこしている。

※「フロンティア古典教室」にリンクします

 

 

清の皇帝たちならこれらの詩は知っていた。

この石を見て「赤壁」を思い出し波型の台座をつくらせたのは、雍正帝自身だったのかもしれない。清朝の最盛期を統治した皇帝が傍らに置き、自らの政治を日々自戒していた姿を思い出させるから、この「肉形石」に特別な価値があるのか。