↓予想以上にヘタな嘉儀公園のニセ贔屓↓※贔屓(ひいき)は竜の九匹の息子の一匹、重いものを引っ張るのが得意とされているので石碑を立てる時台座のカタチによくつかわれている

↓台南にある本物と比べるとその差は歴然↓

18世紀、ニセモノが作られた理由をこちらのブログに書きました

↓背中に乗せられた碑は乾隆帝から贈られたホンモノなので素晴らしい彫り↓

↑真ん中あたりに漢字で「乾隆帝五十三年」の文字が読める↑清朝=満州族の文字も併記してある↑こちらはホンモノなので下のニセ贔屓の彫りの雑さが目立つ↓

↑それにしても雑…↓

目なんか丸く彫っただけ↑

↓下がホンモノ↓


↑ホンモノは甲羅の端のカタチも↑足のちぢみ具合もキチンとしております。

嘉儀という地名は、この碑が贈られた理由と関係がある。

1787年(乾隆帝51年)に起きた林爽文の反乱は足掛け二年に及んだ。

鎮圧した福康安を讃えるために作らせた十の碑は台南に建てられる予定だったが…

鎮圧に功績のあった諸羅から碑の一つを置いてほしいと要望があったのを幸い…

※上のリンクをお読みください

 

 

乾隆帝は諸羅の「義」を「嘉(よろこ)び」、街の名前を「嘉儀」と変えた。