ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」がはじまった時は、

「こんなに小さい音なの?」と思った。

ピアノに合わせた編成だったからかもしれない。

コバケンも、あくまで仲道さんのピアノに合わせていた。

流麗で手慣れたタッチ、メロディを口ずさみながら熱く弾いておられた。

 

仲道さんのアンコールは

シューマンの組曲「謝肉祭」の一曲「ショパン」。

しらべてみると二人は共に1810年生まれ。

同い年のショパンの才能を熱烈に評価していた。

 

チャイコフスキーの五番がはじまると、

ホールがいっきに鳴り出した。

ベートーベンの時代から80年後になると楽器編成も大規模になる。

だが、それ以上にコバケンがハンガリー交響楽団をあおって音が出ている。

ホール全体が共鳴している。

 

熱のはいった指揮は、時におおげさにも見え、

迫力と下世話の間をいききしている。

小澤征爾の指揮も迫力いっぱいだがノーブルさを感じさせる。

コバケンの指揮は良くも悪くも庶民を楽しませてくれる。

 

万雷の拍手。

アンコールの前にコバケンが話しはじめた。

「おなじみの『ハンガリー舞曲』を演奏しますが、ここで日本人の魂を注入したいおもいます。普通の『ハンガリー舞曲』はこうですが…」

式台を降りて楽団に一般的な『ハンガリー舞曲』の出だしを演奏させる。

「私のばあいは浪曲のようにも…」

と言って式台に上がり、

タメと勢いを極限まで誇張して演奏しはじめた。

 

小松はかつてブダペストの音楽酒場でのチャルダーシュの演奏を思い出していた。

ジプシー音楽の影響を強く受けたといわれるバイオリンは、一般的なクラシックバイオリンよりも熱く・緩急するどく演奏される。それはハンガリー人がヨーロッパのど真ん中にいるアジア系の民族だから、なのかもしれない。

コバケンはそれも強く意識しながら、日本的な『ハンガリー舞曲』を奏でる。

 

万雷の拍手。

まだ禁止されている「ブラボー」までとんできた。

個人的にはこの熱い演奏は好きだ。

だが、気に入らないと感じる人はある。

ホールを出ていく時に「あんなとんでもないの…」と話す声がきこえた。

 

浪曲のような『ハンガリー舞曲』。

クラシックのホールでやるような演奏ではない?

それを楽しみに大枚はたいてくれる人がこれだけいるのなら、それもアリだと思う。

クラシックだって庶民の音楽であるべきなのだから。