普天間基地に食い込むように、佐喜眞美術館の敷地がある。

丸木位里・俊夫妻が描いた大作「沖縄戦の図」を沖縄で公開する美術館をつくるために奔走した佐喜眞さんは、曲折の末、佐喜眞家の亀甲墓のある普天間基地の土地の返還を交渉しにいった。

↑これがその亀甲墓↑

最初に那覇市の防衛施設局を通じて要請を出したが、何年も「交渉中です、申請中です」ばかりで進展がなかった。

人伝に紹介してもらい、アメリカ海兵隊不動産管理部のポール・ギノザ氏と会うと、

「美術館が出来たら宜野湾市はよくなりますね。われわれには問題はありません」という返事で佐喜眞さんは唖然とした。

「沖縄のささやかな願いを長期間邪魔し、屈服させようとしていたのは、米軍ではなく日本政府のほうだったのです」

佐喜眞さんの「アートで平和をつくる」のなかに書いておられる。

東京へ戻る機内でいっきに読んだ。

しばらくまえにNHK「日曜美術館」で紹介されて、今回の沖縄下見でどうしても訪れたいと思っていた場所。

《手造の旅》で沖縄をとりあげてこなかったのは、この地を語るのに戦争に触れずにはすまないからである。しかし、一般のツアーのように南部の戦跡をめぐる定番コースを入れても、型通りに過去をふりかえるだけになってしまう。

過去を、現在とつながっているものとして感じてもらうにはどうすればよいのか。

佐喜眞美術館を案内していただくのは適切な理解につながると思えた。

※佐喜眞美術館の頁にリンクします

「沖縄戦の図」を、沖縄で観ることができる意味は大きい。